(22)10番人気以降の馬が絡む不可解さ

競馬を娯楽の1つと考えて楽しんでいる間は、予想が的中した時はラッキーと考え、外れたとしてもそれほどの影響は無い。
それが、毎週競馬をやるようになると、小遣い程度では資金が足りないので、ある程度は的中させる必要がある。
どうしても競馬資金を競馬で稼ぎ出さなくてはならないのである。

毎週に競馬をやっているような人なら、競馬の知識や経験も豊富で研究心も人一倍のはずである。
そのような人達は、自分の予想をインターネット上でも数多く発表されている。
私もたまに見させて貰っているが、的中率抜群というサイトにはなかなか巡り会う事ができない。
競馬予想にはどうしても避けられない壁があるようである。

競馬はかなり予想し易いギャンブルである事は間違いない。
それは競走馬の能力差がかなり大きく、その能力が比較的安定しているためであると考えられる。
もし、これがなかったら、競馬は全く予想ができないし、競馬予想紙や競馬予想家と称する職業もなかったはずである。
ただ、テレビ等に出てくるパドック解説者や競馬評論家はオッズの単勝人気に沿った評価しかできないようである。
それほどまでオッズにこだわらなくても良いと思うのだが、馬を直接見ていても穴馬を見つけだす事は困難なのであろう。
恐らくは、下手に穴馬予想をして外してしまうと予想家としての信用を失ってしまうのではないかと恐れているのかも知れない。
あるいは、オッズに沿った予想であれば、そこそこの的中率は得られるし、外れた場合でも納得が得られそうだと安易に考えているのかも知れない。

それはともかくとして、私が競馬予想をする上でどうしても越えられない壁として感じているのが単勝10番人気以下の馬が上位入線する事である。
10番という数字は、気持ちとしては7番人気以降の馬が1,2着に絡む事自体が不思議でしょうがないのだが、それでは少々心許ない感じがするので少し広げただけである。
競馬を趣味としている人なら、1レース最大18(12〜18)頭の競走馬の中で、10点もピックアップすればその中に1着馬と2着馬は必ず含まれていると感じている。
勿論、全てのレースと言う訳ではなく、重賞競走に限定してもいいだろう。
1年間程度で区切った場合、100%は無理として90%程度ではどうだろうか。
18頭も走らない競走もある中で、いくらなんでもこれは容易に達成できそうな事のように思える。
しかし、なぜかこれができないのである。

競馬評論家も無視できないように、オッズはかなり的確に馬の能力を表していると言える。
ほとんどのレースで妥当な評価をしており、オッズを競馬予想と見た場合に、かなりの的中率を持っていると考えられる。
優秀な競馬予想ソフトもオッズに近い予想になる事は間違いない。
それほどまでに優れた予想をしていると考えられるオッズでも、見ての通り10番人気以下の馬が絡んでレースが決着している事が実に多い。

オッズも基本的には過去のデータを元にして形成されている。
荒れるレースが、データの見落としによるものと考えて見直したとしても、それを見つける事は困難なのである。
データ的には考えられない事が10番人気以降の馬が絡む事であり、競馬予想の壁になっている。
つまり、これが競馬がギャンブルである事の証なのだろう。

この壁は永久に取り除く事はできないのかも知れない。
そして、それは競馬で安定して儲ける事が不可能な事を意味しているのではないだろうか。

■10番人気以降が1,2着になれる理由

10番人気以降が1,2着になる理由(原因)を考えてみようと思う。

(1)単勝人気はいい加減である。(×)
これは当たらないと思う。
さすがに多くの人がお金を賭けて予想をするだけに、馬の実力やその時の環境から納得できるオッズになっていると思う。
(2)馬の実力の差は紙一重なので実際には予想できない。(△)
確かにそのようなレースも存在するが、どちらかと言うと強い馬は常に強く、弱い馬はいつまで経っても弱い。
(3)レースには不確定要素が多すぎて予想はできない。(△)
例えば進路を塞がれるとか、他の馬と接触するとかも多いが、そんなに毎回起こる現象とも思えない。
(4)馬の強さを測る方法が無い。(○)
これは言えてると思う。
色々なタイムデータ(走破タイム、ラップ、上がり)はあるが、そのデータがどんな状況で測定されたのかはっきりしないため、これを馬の強さを比較するためのデータとして簡単に使う事ができない。
(5)馬の調子や気分は常に変化していて一定ではない。(△)
人と同様で馬も気分が良い時と悪い時があるだろうし、調子の良い時と悪い時がある事は確かである。
しかし、力の無い馬が多少調子が良くても競走結果が変わる程の能力アップがある事は少ないと思うし、逆もしかりである。
(6)馬場の状態が一定では無く、かなりの有利不利を生じている。(○)
これは言える事である。
距離だけを考えれば、最内枠が走る距離が短いためにもっとも有利なはずなのであるが、多くの競走馬がその部分を走るために最も痛み易い。
そのため逆に走り難い結果となり一概に有利とは言えない事になる。
ましてや雨等が降ろうものなら、内側は最悪の状態になる。
かと言って走り易い外側は、距離のロスがあって不利になる事が多い。
(7)馬に常に最大の能力を出させて走らせていない。(○)
騎手は、際どく1,2着を争う状態でなければ無理に走らせる事はしない。
これはタイムを争っているのでは無くて、他の馬に勝てれば良いからである。
楽勝できるような場合は、手綱を持ったままでゴールする姿はよく見かける。
又、追っても入着できないと騎手が判断した時は無理には追わないので、タイムは悪くなってしまう。
無理に追うと馬が故障を発生する場合があるからである。
又、戦略上調教師が馬の模様味をさせるレースがある事も否定はできない。
基本的には、八百長と疑われるような行為をしない限り、どんな走らせ方をさせても自由なのである。

色々考えながら記載して行こうと考えている。
タイトルにも書いた通り、私には良く判らない事なのである。