speak

私の言いたい事や持論を中心に記載しました。
馬ちゃんのページも土曜日や日曜日の競馬開催日は見ていただける方が多いのですが平日はさっぱりです。
そこで平日でも見ていただけるように競馬に関係ないことで思いついた事を書いてみることにしました。
過去に記載した内容を改めて眺めて見ると、ニュースを見て自分が怒りを覚えたのが大部分のようです。

2013年12月28日(土)
ちょっと息抜きに、 もはや別人 凄すぎる韓国の整形番組 というのを見てみました。
どちらが先かは知りませんが、日本のテレビ番組の造り方に似ていて、以前に日本でやっていた番組をスケールアップしたような感じでした。(女性好みの番組でしょう)
韓国のミス何とかは、顔が全員同じだとか言われておりますが、韓国では女性が整形するのは当たり前の事のようです。
私は、以前は親に貰った顔に手をいれるのはとか、見た目だけきれいにしても心が汚れているのではとか、美人と結婚すればかわいい子が生まれるだろうと思っている男を騙す行為ではとか思っておりましたが、最近はお金があれば整形はどんどんやっても構わないだろうと言う考え方に変わってきております。
韓国のこの番組では、美しい顔をより美しくするのではなく、醜い顔や体のために社会から嫌われ、就職や結婚で悩んでいる人達のためのものでした。
生まれつきもあるでしょうが、事故などで障害を受けて醜くなってしまった人は、今の医学で直せるものなら直した方が良いと思います。(ある程度はやっておりますが)
当人達は、悩むと言う段階を通り越して、死にたいと考える程のコンプレックスを持っており、どうやら精神的な障害まで背負っているようです。

日本に多いいじめも外見によるものも多いと思いますので、俗に言う出っ歯の人やデブ、ハゲなどの状態がひどい人には、医学的な治療が有効なのではないでしょうか。
特に日本女性の場合は、今日も大学のミスコンテストに誰が選ばれたとか、馬鹿マスコミが書きたてているようです。
馬鹿マスコミは騒ぎ過ぎですが、確かに男なら飲み屋に行ってもきれいな人から酒を注いで貰った方が嬉しいですから、女性がよりきれいになる事は金儲けにも繋がっているでしょう。
金儲けのために女性は整形すべきかは兎も角、美しくなる事で人生に希望が持てるようになるのなら、どんどん整形を行った方が良いに決まっております。
ひょっとしたら、あと数十年もしたら、遺伝子レベルでどんな美男美女でも造れるようになるかも知れません。
そう言えば、SF映画で数百年後に町を歩いている人は全員が超美女ばかりでしたが、仮面を外すと放射能の影響で顔の中の配置が滅茶苦茶だったのを見ましたが、まさかそれが日本の将来を暗示しているのではないでしょうね。

2013年12月12日(木)
日本維新の会に離党届を提出した東国原英夫衆院議員が、東京都知事選があった場合に立候補するのかどうかの問いに対して、本人はテレビで「ノー・プラン、ノー・マネー(計画も資金もない)」と答えたそうですが、これを立候補しない意思表明だと受け止めた人は相当に(頭が)お目出度い人であると断言しても良い。
競馬予想は全く的中しない私だが、東京都知事選があった場合には6割以上の確率で立候補するだろうとの予想には自信がある。
その際にどんないい訳を用意しているのか、聞きたいものである。
常識的には、周りの熱意に押されてとか、人生最後のチャンスと思ってとかの使い古された言葉しか私は思いつかないが、頭の良い人ならもっとウルトラC級の言い訳を用意しているだろう。
今回の離党理由を明確にするために、石原慎太郎共同代表ら旧太陽の党系議員を「永田町の妖怪」とか言って、自分はその人達と戦い続けたような事を言っているが、相手から見れば最初から戦う相手ではなく無視されていた存在だろう。

永田町に妖怪と呼べるようなレベルの高い集団が居るのなら大したものだが、国会議員などは官僚の尻に敷かれて動きが取れない人がほとんど全員と言っても良い。
東国原英夫元議員の化けの皮がいつ剥がれるのか楽しみである。(最初から化け損ねているとも言えそうだが)

2013年12月8日(日)
みんなの党の渡辺喜美代表は、私は以前に日本の指導者として多少期待していた人物だったが、完全にあきらめた。
私だけでなく多くの日本人が渡辺喜美代表には失望したのではないだろうか。
今日の 報道 では、江田憲司前幹事長が離党表明したことを受けて「出ていっていただく」と言ったそうだが、この男一人だけではもう何もできまい。
おまけに、比例選出の議員が離党届を提出した場合は「比例の議席はみんなの党の議席だ」として議員辞職勧告を出す方針を明らかにした。と言うのだから、尻の穴の小ささには驚いてしまう。
みんなの党は俺のものだと言う意識しか持っていないのだろう。
もっと謙虚かつ冷静になって、出ていく議員に対しては「大変だろうが頑張れよ」ぐらい声を掛けてやれないものか。

維新の会と合流して、将来はそこの党首になる道も開けていたのだが、一気に代表にでも成りたかったのだろう。
人並みの欲望だったと言うべきだろうが、その程度の器では将来日本を背負って立つ人物としては程遠い。
最近は自民党に擦り寄っていると言われているが、今更自民党に擦り寄って機嫌を取っても無駄である。
昔風に言えば、外様大名になったのだから今更自民党と組んでも要職には着かして貰えない。
だいたい、今の自民党は数合わせをする必要がないので、公明党も邪魔な存在に近い。
もはや、そのまま枯れるだけしかない状況なので、どうあがいても無駄だと言う事である。
ちょっと欲をかいたばかりに、悲惨な状態になってしまった。
哀れな男である。(バラ色の時もあったから当人は満足しているだろうが)

そう言えば、猪瀬 直樹(いのせ なおき 1946年11月20日〜)東京都知事も辞めるしか道が無くなってしまったようである。
作家出身だったので、クリーンなイメージもあったのだが、実態はとんでもない男だったようである。
東京都知事の地位を利用して、蓄財をしていたと考えるのが、真相に一番近いのではないだろうか。(5000万円は今後便宜を図る見返りの金だろう)
あれだけ言う事がコロコロ変わって、不利な部分は隠蔽すると言うのでは有権者の信頼は得られまい。
何時辞職発表をするのかのタイミングだけになってしまった。
哀れな男である。(バラ色の時もあったから当人は満足しているだろうが)

中国の新たな防空識別圏設定に対して、菅義偉官房長官の度胸がどこまで据わっているのかに対しても、その程度を知る報道があった。
菅義偉官房長官は、「日米は全く微動だにしていない」と言っているそうだから、何の事はない強いお兄ちゃん(米国)の背中に隠れて強がりを言っているだけではないか。
その頼りにしているお兄ちゃん(米国)も、中国や韓国とも協調しなければならないのであるから、自分一人の味方だと思っている菅義偉官房長官(日本)は、何時足元をすくわれるかも知れない事を自覚するべきである。
頼りにしている兄(米国)が居るからなのか、何時になっても成長できない弟(日本)では、どうしようもあるまい。
日本は、金を一杯出しているから安全保障理事国の仲間入りをさせろとか国連にアピールしていた時もあったが、金の額をアップするより、もっと成長して知能をアップして欲しいと思う。
日本は、一生、アメリカの下僕(アメリカがコントロールするのが楽な国家)のままで居るつもりなのだろうか。

2013年12月2日(月)
昨日に中国の新たな防空識別圏設定に対して、アメリカは民間の航空機会社に飛行計画を中国に提出するように促したのに対して、日本は民間の航空機会社に飛行計画を提出しないように指示したので官僚が右往左往していると書きました。
太田昭宏国土交通相もアメリカの真意を調査中だとかおろおろしているので、私は日本は猿真似国家だから、アメリカの真似をする事になるのだろうと書きましたが、菅義偉官房長官は2日の記者会見で、日本が中国の防空識別圏設定を容認しない立場から、飛行計画を提出しないよう日本の航空会社に要請していることに関し「わが国の立場が変わることはない」と説明した。と 報道 されていました。
どうなんでしょうかねぇ。
私も昨日書いたように、政府のメンツが丸潰れだから屈辱的だとは思いましたが、威勢の良い啖呵を切れるのも何時までだろうと思ってしまいます。(長くても半年かな)
本気で日本の民間機を守る気があるのなら、日本の民間の航空機が中国の戦闘機にスクランブル発進され、取り囲まれた時に戦闘機を追い払う覚悟と度胸が必要です。
度々、そのような事があれば自衛隊の護衛付で民間機を運行させなければなりません。
今までの経験から、そんな事が腰抜けの日本に出来る筈がなく、恐らく「乗客と乗務員の生命の安全を第一に考え、断腸の思いで民間機は中国の防空識別圏からコースを変更させる事にしました。」とかの使い古された言い訳でも用意しているのではないでしょうか。
それとも、アメリカの腕にすがれば、何とかなるだろうぐらいに思っているのでしょうか。
中国がわざわざ民間機に対してスクランブル発進してくるかどうかは疑問ですが、あの国ならそのぐらいの事をやっても不思議ではありません。

私が世界の笑い者にならないように願っているとはこのことで、アメリカのように民間の航空機会社に飛行計画を中国に提出させて、その上で中国がスクランブル発進してきたらアメリカ軍が関与するのと、日本のように民間の航空機会社に飛行計画を中国に提出しないように指示して、中国の戦闘機がスクランブル発進してきて威嚇されたら慌てて逃げ出すのとどちらが利口かと言う事です。
中国の戦闘機に驚いて、慌てて逃げ出すのでは世界から笑い者にされるでしょう。(そんな状況になったら民間機の機長は逃げるしかないでしょうが)
下手したら、それ以降は既成事実化されて、日本は2度とその領域を飛行できなくなります。
菅義偉官房長官の度胸がどこまで据わっているのかは知りませんが、もし中国の戦闘機に囲まれないように祈っているだけなら、下手な強がりは言わない方が良いのではないでしょうか。

2013年12月1日(日)
世界から戦争は決して無くならないのではないかと言う考え方が、ひょっとしたら正しいのが証明されてきているのではないだろうか。
経済的な大国になった中国の動きを見ていると、そう長くはない時期に死傷者の出る戦いが起きるのを懸念しなければならなくなった。
日本との尖閣諸島周辺での海上保安庁との銃撃戦も想定されてはいたが、私は日本は逃げ腰外交を得意としているので、心配する程の銃撃戦にまでは発展しないような気がする。
むしろ、台湾やベトナムとの小競り合いからの発砲事件が多くなるのではないだろうか。
最近の中国の一方的な防空識別圏設定を見ていると、銃撃戦が起こるのは船舶に限らず、戦闘機との間になるのではないかとも考えている。
どちらかの戦闘機が領空侵犯したとかしないとかで銃撃戦になって破壊され、死傷者が出たとしても直ぐに報復攻撃のような事態にはならないとは思うが、全世界が一気に戦争への緊迫した状況になるのは目に見えている。
もしそうなれば、呑気な日本人でも紅白歌合戦の歌手の衣装がどうだこうだと浮かれてばかりはおれまい。
20代程度までの人間なら、多少浮かれても良いだろうが、40歳を超えたようないい年をした人間が、お祭り騒ぎをしているのを見ると情けなくなる。

無論、やたら危機感を煽り立てる必要はないし、過剰な意識を持つ必要もないのだが、心の奥底には常に危機意識を持つ必要があるだろう。
今の日本の現状は、何か起こった時に右往左往するしかないのが目に見えている。
残念ながら日本には危機管理に優れた有力な指導者が存在していない。
マスコミも屑ばかりだし、不幸な国家ではないだろうか。

中国の新たな防空識別圏設定に対して、アメリカは民間の航空機会社に中国に飛行計画を提出するように指示(促す)したと言う。
日本の官僚(国交省)は防空識別圏内を爆撃機2機が挑発的に飛行したものだから、民間機も飛行計画などアメリカは提出しないものだと思い込み、提出しないように指示していたが、アメリカの対応を見て右往左往しているようである。
結局は猿真似国家だから、アメリカの真似をする事になるのだろうが、一旦潰れたメンツは取り戻せまい。(毎度の事なので今更どうでも良いが)
アメリカは民間機に飛行計画を提出させて、それでも中国の戦闘機がスクランブル発進してきたら対抗措置を取りやすくするために提出させているのは容易に想像が着く。
アメリカなら民間機の周囲にまとわり着く中国の戦闘機を追い払う事など躊躇なく行う国家であるのは明白だろう。
単なる不満表明のための措置(デモストレーション)を行っているだけの日本とは根本的に考え方が異なっているのである。
太田昭宏国土交通相もレベルが低そうな感じの人だし(今回の措置の真意を調査中だとか言っている)、せめて日本が世界中の笑い者にならないように願っている。

2013年11月28日(木)
女は政治に向いていないのではないかと言う話を以前(例えば5月14日のSPEAK)でもしているが、最近はそれが確信的になっている。
言うまでもなく決定的なのは、朴槿恵韓国大統領の所業を見ての事である。
私は韓国はサムソンなどの電子製品を見て、日本は抜かれてしまったと感じていたが、朴槿恵韓国大統領を見ていると今後数年は韓国はたいした発展がないだろうと思う。
それほどまでの愚かな女であり、私がピントが外れた発言ばかりして馬鹿にしている社民党の福島おばさんや歴史認識がおかしいのでもレベルが分かる自民党の高市 早苗議員などは、この人と比較すれば可愛い方だろう。
週刊文春最新号で 朴大統領を「クレーマーおばさん」と呼んだのに、韓国大統領府が「暴言」だと言ったそうだが、これは的確な表現である。

女独特の性癖で、好き嫌いが激しく、やたらグループ化したがり、嫌いな人間(日本)とは口も利かないし、話もしないのでは放っておくのが最良だろう。
まるで、小泉首相に罷免されて悪口ばかり言っていた田中真紀子元議員と同じである。
これでは、やがては国民からそっぽを向かれるのも仕方がないだろうと思う。
朴大統領の場合は従軍慰安婦の件で日本が謝罪したらどうのこうのと言っているようだが、従軍慰安婦の問題は日本軍が介入したのが疑わしいばかりでなく、仮に今回適当に謝ったとしても、味を占めて次から次へと難題を吹っかけてくるだけだろう。
やがては中身(レベル)が明らかになるので、馬鹿な女は放っておくのが最良なのである。
日本人が金に物を言わせて、社内旅行などで韓国や中国の女を買い漁っているのは事実のようだが、金が儲かっている企業の男が人間的に優れているとは限らないので仕方がないだろう。
日本人に限らず、年中発情している男はどこにでも居る。 (犬や猿でさえ年中は発情していないが)
国会議員の中にも、若い女を見たらセックスしか思い浮かばない男が結構存在していたし、まだまだ数多く居る事だろう。
日本人の性癖が良いとは言わないが、それを朴槿恵韓国大統領には言われたくない。
余程、男に恵まれなかった女でフラストレーションが溜まっているのではないかと勘ぐりたくなるのは私だけではないだろう。

話は変わるが、日本の警察はアホだと思う 報道 がまたあった。
「だまされたふり 息子装う少年逮捕 菊川署」と言う見出しで、俺々詐欺の典型的な例なのだが、電話を受けた老人が自分には息子が居ないので嘘だと直ぐ判断して警察に連絡したのだが、警察では金を取りに来た小年を取り押さえただけだと言う。
静岡県の菊川署とか言う田舎の警察なので、署員にボケた人間しかいないのか最初から真面目に取り組む気が無かったのだろう。
私が改めて言うまでも無く、どうすれば良かったのかははっきりしている。
金を受け取りに来る人間は下っ端であるのは常識なので、その金がどこへ運ばれて誰の手に渡るのかが重要である。
折角協力してくれる民間人がいるのであるから、金を受け取りに来た人間にカバンを渡して追跡するのは当然だろう。
最近では小型の高性能なGPSもあるので追跡も容易であるのは想像に難くない。
こんな小学生でも考え付きそうな事が、日本の警察では出来ないのだから、俺々詐欺が撲滅しないのは当然の事だろう。
田舎の警察ではハイテク機器はないとか屁理屈を並べるだけだろうが、署員の頭がローテクなだけである。
せいぜい、「俺々詐欺」を「母さん助けて詐欺」とか名称を変えて得意がっているが良い。
暇人めらが。

2013年11月2日(土)
山本太郎参院議員が秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した件のニュースが話題になっているが、私の考えも言わせていただこうと思う。
手紙を手渡した山本議員の動機は「女たらし」と呼ばれている現在の状況を少しでも回復したいと言う思いの不純な動機だろうが、動機については何も言わない事にする。
それは個人の動機がどうのこうのよりも良い事したのかどうかを判断すれば良いからである。
この件については馬鹿マスコミも含めて圧倒的に、「政治利用」、「ルール違反」、「場をわきまえない」など国会議員連中を中心にしてけなしているばかりである。
日本の圧倒的多数の国民も「右へ倣え」的な考え方をする人が多いので、安倍首相がコメントしたと言う「あれはないよな」ぐらいが常識的な考え方になっているだろうと思う。

批判者の代表としてマスコミが良く持ち出してくる大学教授のコメントが 記載 されていたので、まずそれを見ての感想から述べたい。
それにしても、新聞社と言うものは自社の意見を言って批判の的にされるのが嫌なものだから、やたら大学教授などを持ち出したがるが、こんな考えだからいつまで経っても馬鹿呼ばわりされるのだろう。
以下が皇室問題に詳しい高崎経済大学の八木秀次教授(憲法学)に聞きましたとか言う内容の抜粋である。
新聞社は皇室問題に詳しいとかわざわざ前置きをしているが、私から見れば単なるおじさんの一意見に過ぎない。
「直訴」をどう見る
まず話を持っていく先を間違えています。天皇陛下はそういう存在ではありません。
場所も間違えています。園遊会は政治的な事を言う場ではありません。
憲法が分かっていないから、こんな失礼なことができたのでしょう。
「政治利用」に当たるのか
山本議員の行動は政治利用「未遂」と言えるかもしれません。
ここでの記載内容はかなり省略しておりますが、内容的には合っているでしょう。
私の意見ですが、まずマスコミ側の聞き方がおかしくて「直訴」をどう見るとか言っています。
あの行為は、「直訴」などではなくてパーフォーマンスなのは小学生でもわかるでしょう。
それに真面目に回答している八木秀次とか言う人のレベルも伺い知れます。
「政治利用」に当たるのかの聞き方も変です。
天皇を政治利用の材料にしている国会議員は多いですが、今回の場合は「政治利用」と言うよりも「世間に注目されたい」一心でしょう。
これを、政治利用「未遂」などと答えているのですから、この教授は馬鹿マスコミ程度のレベルと考えて良いでしょう。
私が馬鹿と表現したのは、質問する側の内容も答える側の内容も常識外れでおかしいからです。

現在の私の考えに最も近い考えを述べている 記載 がありましたので、それを掲載(内容の一部を抜粋)させていただきます。
天皇が最高統治者として君臨した明治憲法体制下では、処罰覚悟の“直訴”に相当する行為だったが、現憲法下で天皇に政治権限はなく「政治利用では?」との質問は愚問だ。
天皇皇后は、かつて同じ園遊会で将棋棋士の米長邦夫雄氏に対し「国歌・君が代」問題を“強制でないほうが良い”と応えるくらい“民主主義を守る意志が垣間見られる”人物だ。
天皇皇后は意外に気さくな性格と聞いたことがあり、こういうやり取りが時折あるのを見るのは楽しいことだ。
園遊会招待者は、それこそ身許もはっきりしている良き市民の人たちで、警備上問題はないはずだ。
問題は、今後、園遊会関係の官僚組織が、園遊会招待者のこうした行為をあらためて制限するなど、天皇皇后と国民との間の開かれた交流の邪魔をするか否かだ。
今回の手紙は“反原発”と言う内容だったそうだから、記載内容に間違いが含まれていないかどうかを調べる必要があると思うので、山本議員は手渡した手紙の全文を公開する義務があるだろう。
そのような特定の内容で無ければ園遊会の席では参加できなかった人達のために、天皇陛下に直接手紙を渡す場になっても良い筈である。
勿論、今回のように直に手渡すのは失礼な事であるから、郵便ポスト風の段ボール箱でもどこかに置いて、自由に手紙を投げ込むぐらいにしても良いだろう。
馬鹿官僚達は、今回の件から逆の事をやるのは間違いがないが、今の天皇陛下なら国民から来た手紙を自分で封を切って読まれる事が楽しみなのではないだろうか。
安全を考慮しなければならないだろうから、少なくとも開封した状態の手紙のみを受け付けるようにして、内容物を確認した宮内庁の連中が封をする方式でも良いだろう。
天皇陛下に手紙を出しても本人に届く事はないだろうぐらいは小学生でもわかるので、これは天皇陛下に手紙を出せる良い機会になるかも知れない。

もう10年以上は前の話だろうが、天皇陛下は車で通る時に信号機は平常の状態にして赤信号の時は止まって待つように要望されたが、警察は警備上の理由からそれを断ったそうである。
ひょっとして、狙撃事件でも起きたら自分達の責任問題になるからと言う考えからだろうが、天皇陛下は国民と同じ生活をしたいと思う願望とその意義を全く考慮していない。
もし私が警察関係者だったら、全部は無理だが数か所の信号機の場所では天皇陛下の車は赤信号で止まるように配慮する。(それは偶然の方が良い)
信号機で止まっている車の中の天皇陛下が周りの国民に手を振る姿とそれに応えて日の丸の旗を振っている国民の姿は考えただけでも楽しいではないか。
山本議員の行うパーフォーマンスとは月とスッポン程の違いがある。
そのような事が国民と皇室を結びつける一つにもなると思うのだが、残念ながら馬鹿官僚共には何を言っても無駄である。
自分だけが偉い存在(飛び抜けた知性と思考力を持っている人間)だと錯覚している人間には、周りの人は全く手がつけられない。
困ったものである。

2013年10月31日(木)
「全国学力テスト」成績公表、何が問題になってるの?との東京新聞の随分と遠慮した物の言い方になっている 記事 があったが、何でそんなに遠慮深く報道しなければならないのか理解に苦しむ。
そもそも、「全国学力テスト」の公表を禁じたのは、文部省の馬鹿官僚が成績公表は「学校間の序列化、過度の競争を招く」、「学力テスト対策に授業が偏る」などを理由にしているのは周知の通りである。
学校間に序列があるのは当然であるし(その地域では周知の事実になっている)、過度の競争をするぐらいで学校は自分の学校の生徒の成績(能力)を上げる事に努力するものだろう。
もし、「学力テスト対策に授業が偏る」のであれば、それは学力テストのやり方や内容が偏っているからであって、「全国学力テスト」の公表にあるのではない。
その程度の事も分からないで今まで禁止していたのは、やはり文部省の官僚は馬鹿が多かったからだろう。
最近の学校は、問題児童の存在を世間に知られない事を最優先にしてきたし、もしいじめなどが行われていた場合はそれを隠す事と揉み消すことに躍起になっている有様である。
本来学校と言うものは、生徒に幅広い知識を教え、社会に出ても恥ずかしくない人間を育てる場所の筈だっただろう。
それが今や大学生にもなって冷凍庫に入って喜ぶような人間になるのは、小中学生の頃に満足な社会常識すら得る事が出来なかったからだろう。

今回、文部科学省が、小中学校の「全国学力テスト」の成績を各区市町村の教育委員会の判断で公表できるよう実施要領を見直す方向で検討に入ったのは自民党からの圧力でもあったのだろうが、こんな事は私から見れば検討するまでもない事である。
「全国学力テスト」の成績の結果が人間の能力を表すものではないだろうが、概ね「学力テスト」の良い人間(学校の成績が良かった人間)は人間的にも優れている人が多いようである。
それは多くの知識を身に着ける事が人間を磨くからであり、それは人間性の向上に役に立つ場合が多いからである。
「全国学力テスト」成績を公表して成績の悪い学校があれば、その学校の教員はもっと努力すべきである。(能力差を地域性のせいにしてはいけないし、地域性があるのならその分教員が努力すべきである)
成績の常に良い学校を視察させて貰って、どこに自分達の教え方の悪い部分があるのかを研究すべきであろう。
こんな当たり前のことすら満足に実践できない今の教育界には腐った人間ばかりがいるのではないか。
公表に反対するのは何にでも反対する共産党と党の教職員の支持母体がある民主党ぐらいだろう。
この程度の事で学校が努力するようになれば万々歳である。
競争原理が経済の世界だけにあるものではない事を馬鹿官僚には理解できないのだろうか。

2013年10月20日(日)
ニュースの扱いは小さいが、アルバイトの多摩大学の男子学生が「ツイッター」に“おバカ”画像を投稿したことから、閉店していた東京都多摩市のそば店が破産したとの 報道 があった。
大概の日本人は景気が悪いので倒産する企業は多いだろうとぐらいしか思わないし、馬鹿マスコミはインパクトのない報道はしない。
しかし、私はこの内容に日本の未来を予感する事が出来た。
お馬鹿画像とは、今年8月9日、男子学生が「洗浄機で洗われてきれいになっちゃった」との書き込みとともに、調理場の大型食器洗浄機に体を入れた画像をツイッターに投稿したものである。
これまでも、アイスクリームケースの中に入り込む画像や冷凍庫に入った写真の画像などが若い連中に掲載された経過があり、人真似好きな日本人の典型的な例である。
多摩大学の男子学生は停学処分になったと言うが、本人達は今もってなぜ自分が問題のある行為をしたのかが理解できていないだろう。
人真似が好きな事と何とかして世間で目立ちたいと思う行為からだろうが、知能指数が幼稚園から小学生低学年のレベルである。

多摩大学は特にレベルが低い学生が集まっているのだろうが、日本の大学の学生の知能レベルはせいぜい小学生から中学生程度だろうと推察される。
社会常識も満足に知らない連中が社会に出て日本の中枢に入ったらどんなに恐ろしい世の中になるのか考えて見て欲しい。
先日も若い社会人が50台の年齢の自分の管理職に対して無能だとか会社に不要な人間だとか言っているとの記事があったが、やがては自分もその人間と同じ境遇になる事を理解できていない。
確かに今は最新の情報もネットで自由に取り出せるので年取った連中が馬鹿に見えてしょうがないのだろうが、人の真似だけで生きている人間はいずれは破たんする。
日本の官僚にも言いたいが知識の豊富さだけでは無能な人間と大差ない事を理解して欲しいものである。
日本の企業が世界のトップレベルにはなれないのも結局は人真似から派生した技術しか活用できないからではないだろうか。
私が例として良く取り上げているテレビのデジタル化についても開発に遅れをとってしまったのはNHKなどがアナログの延長上でしかハイビジョン(高解像度映像)を考える事ができなかったからだろう。
NHKが開発に費やした費用も半端ではなかったと思うが、これが世界に対する日本に現状のレベルであり、悲しいかな後続の日本の学生は目立ちたいだけの小学生程度の知能しか持ち合わせていない。
今回の馬鹿学生によるそば店の破産はひょっとしたら日本の崩壊をも示唆しているかもしれない事件なのだが、マスコミはじぇじぇが髭を生やしたとかの報道で得意になっているだけである。

2013年10月5日(土)
私も社会の動きや政治的な事に関しては言いたい事が山ほどあるのですが、所詮は犬の遠吠えで何の意味のないので気分が乗らなければSPEAKに書く事はありません。
犬の遠吠えと言うのは、頭に「負け犬」と記載するのは正式な言い方なのかも知れませんが、私は「遠吠え」が全て負け犬だとは考えておりません。
「ちりも積もれば山となる」の諺通り、例え少数の意見であっても賛同者が増えてくれば、やがては社会を動かす力となる場合もあるでしょう。
私から見れば、日本人は余りにも教育が行き届いていると言えば良いのか、忍耐とか寛容とかの言葉が好きなようで、全てを自分の責任にして受け止めてしまいます。
少なくとも子供の頃は全てを自分の責任にはしないで、言いたい事があれば堂々と表明すべきでしょうし、社会も不幸な境遇の子供達を救ってやれる環境を提供しなければいけないと思います。
いじめを受けて自殺するなどと言う事は、本来はあってはならないと思います。
いじめの例で言えば、現在はいじめに対していじめないように教育をしようなどと馬鹿な事ばかり言っているようですが、良識のある大人でさえも平然といじめの行為をしますので、これは人間の本能的なものでしょう。
ですから、いじめをしないように指導するのではなくて(それも必要ですが)、いじめは無くならないものだと考えて、いじめを受けている子供たちをどうやって探し出して、どうやって救ってやろうかと考えるべきなのですが、今の教育者にはまともな人間が少ないようなので改善される事はないでしょう。

どうにもならない話はこのぐらいにして、社会の動きとは関係のない話でちょっと気になった 報道 があったので自分の考えを述べてみたいと思います。
いずれはリンク切れになるでしょうから、以下に内容の一部を抜粋してみます。
国内のパソコンの3分の1に搭載されている米マイクロソフト社の基本ソフト(OS)「ウィンドウズXP」のサポート期間が来年4月に終了するが、その後も全国の半数以上の966自治体が20万台以上を使い続けることが読売新聞の調査でわかった。
サポート終了後はウイルス感染の危険が高まるなどサイバー攻撃に無防備になるが、「危険とは思わなかった」とする自治体もあり、専門家は「セキュリティー意識が甘すぎる」と危惧している。

読売新聞の話だから、内容が低レベルなのは仕方がないだろうが、多少なりともコンピュータを知っていると思っている私から見ると、この「ウィンドウズXP」を使用し続けるのは問題だとの記載は正しくはないと思う。
まるで、読売新聞が米マイクロソフト社の回し者になっていて「ビスタ」「7」「8」を自治体に購入させようとの意図があるとしか思えない。
実際には読売新聞が米マイクロソフト社から宣伝費を貰ってはいない(記者は疑わしいが)だろうから、これは単なる無知であり、要するに低レベルなマスコミであるからだろう。

コンピュータがネットワーク回線から「ウィルス」に感染する危険性が高いのは常識である。
例え「ウィンドウズXP」から「ビスタ」「7」「8」に変えた所でその危険性が無くなる訳ではない。
単に、この4つのOSの中では、WindowsXp が最も危険なOSであるだけの話である。
では、自治体が「ウィンドウズXP」を使っていたら即刻OSを変更する必要があるのかと言うとそれはノーだろう。
「ビスタ」「7」「8」に変えた所で気休め程度にしかならない。

なぜ自治体が即刻OSを変更しないのかと言うと、読売新聞の言うように資金の問題だけではなくて使い勝手の良さがあるからでもある。
それに普通の自治体では職員の使うパソコンがグローバルなネットワークに直接接続している事などは絶対にない。(もしあったとしたら、それは公共機関とは呼べない)
「ウィルス」よりも、自治体には個人情報が多いのでデータの漏洩には最大限の注意を払っているのは常識である。
恐らく、どこの自治体でも職員にはパソコンの持ち込みはおろか、記憶媒体の持ち込みも絶対禁止されているだろうし、例え持ち込んでもデータのコピーは出来ないようになっているだろう。
ネットワークに関して言えば、グローバルなネットワークから接続する場所には必ずプロキシサーバーが備わっていて「ウィルス」関係や「スパイウェア」の取り込み(侵入)を拒否している。
アダルトのようないかがわしいサイトや私のサイトのような競馬(ギャンブル)関係のサイトにも接続ができないのが普通である。
プロキシサーバーに侵入されたとしても、そこから職員のパソコンまでは2重、3重の壁があるのが普通なので、専門家によって構築された自治体のネットワークでメンテナンスを常に行っているなら、限りなく100%に近い安全が確保されていると思う。
だから、私は読売新聞は単なる無知の集団であり、要するに低レベルなマスコミだと言っているのである。

話は変わるが横浜の踏切で人を助けようとして電車に巻き込まれたか飛ばされて死亡した人に総理大臣が感謝状を送ったのどうのこうのと報道されていたが、送るなら紙切れ一枚ではなくてお金だろう。
100万でも200万でも良いから安倍首相が自分のポケットマネーから出しても良いし、金持ちの国会議員から集めても良いだろう。
遺族の方がお金は要らないというのであれば慈善事業に寄付する道もあるだろうし、お金なら有益な使い道はいくらでもある。
この程度のことも考えられないような政府の連中では先は長くはないだろう。
神奈川県もそれを真似して感謝状を与えたというのだから、馬鹿な連中は救いようがないようである。
お金を包もうと言う話は当然出ただろうが、多分馬鹿官僚が前例がないとか前例を作るのは良くないとか進言したのだろう。
それとも香典で100万ぐらいを包んだのかどうか知りたいものである。
これで勲章でも与えようと言う話になるのなら笑い話である。
紙切れなら燃えるゴミで処分できるが勲章は燃えるゴミには出せない。

2013年9月3日(火)
村山富市元首相が中国共産党機関紙人民日報に、安倍晋三首相が植民地支配と侵略を認めた村山談話の見直しを進めているとし、「侵略を否定すれば、日本の歴代首相の発言に対する関係各国の信頼を大きく損なうことになる」と指摘したとかの記事が載ったのどうのこうのと書いてあった。
何でも村山氏は「日本の政治の右傾化」だと懸念し、「基本的人権と平和、民主主義の尊重を基調とする現行憲法の改正は絶対に許さない」と訴えたとか言ったようなのだが、中国の人民日報がでっちあげの記事を書く事はないだろうから村山富市氏が取材に応じて同様のことを言ったのは確かだろう。
村山富市元首相は既に過去の人であり、日本へ与える影響は皆無なのだが、中国では新華社通信(英語版)も配信しているらしいから、誤った認識を世界中にばら撒く元にはなるだろう。
かって、自民党が数合わせのために社会党の村山氏を首相にしたのは大失態だったろうが、当の村山氏は自分が首相に成れたと言う事で自叙伝を自費出版(?)までしているようだから、村山談話を見直される事などは容認できないのだろう。

侵略があったかどうかについては、当の安倍晋三首相も否定はしていないように、感覚の相違は多少あっても多くの日本人は中国を侵略したと言う指摘に真っ向から反論などはしていない。
事実、女性国会議員の誰だったか(高市だったと思うが?)が侵略はやむを得ないものだったとか発言したら、自民党から猛批判を浴びたのは、そんなに古い話ではない。
年寄は過去の栄光を追い求めたがるものだから、今でも選挙演説を行ったり外国の取材を受けたりしているのは理解が出来るが、1924年生まれで90歳近い年齢のようであるから、まともな考え方などはできなくなっているだろう。
今回のように中国に利用されるのがおちであるから、あまり表面にでしゃばらない方が良いだろうと私は思う。
当人に忠告しても無駄だろうが、周りの支えている人(介護人的な人)が話し相手になって静かに余生を送らせた方が良いのではないだろうか。
老人が何を言っても大した影響はないだろうからと自由に行動をさせていると、従軍慰安婦問題のように誤った情報が世界を駆け巡ることになる。
老兵は死なず、ただ消え去るのみと言う言葉を村山富市元首相に送りたいが彼には実践できまい。
村山氏が現在はどんな生活をしているのか知らないが、話相手になれる人が全く居ないのだろうか。
老人には老人の楽しみ方があるだろうに。

宮内庁の風岡典之とか言う長官の阿呆振りを発揮している 記事 がまた見つかった。
高円宮妃久子さまがIOC総会ご出席するのを「苦渋の決断として、受け入れることにした」とか言っている記事である。
「天皇、皇后両陛下もご案じになっているのではないかと拝察している」といかにも皇室に配慮しているような発言もしているが、両陛下には事後報告だったというから、いかに皇室を軽視している人間であるのかバレバレである。
この男がまともな人間なら、「苦渋の決断として、受け入れないことにした」と言う決断をすべきなのだが、自分の保身が優先の官僚出身者には到底無理な相談である。
こんな男が宮内庁長官になっているのでは、天皇陛下を始めとする皇室関係者は多大な迷惑を被っているだろう。
皇太子殿下も以前のように、我慢が出来なかった場合は遠慮しないで記者会見の席で不満がある(罷免して欲しい)と言っていただきたいものです。
官僚や国会議員の中には皇室の人達を飼い犬程度(失礼な言い方ですが)にしか見ていない人が少なからず存在していると思う。
そんな連中には、天皇、皇后両陛下の人間性の素晴らしさを鼻糞程度でも分けてやりたいものである。

2013年8月21日(水)
世の中には屑な会社が多いものだが、秋田書店はその中でもトップクラスの屑な会社だろう。
不正を内部告発した正義感の溢れる女性に全て罪をなすりつけて昨年に懲戒解雇していたというのだから、あきれる以前の問題である。
秋田書店のコメントは、消費者庁からの措置命令に対して「真面目に受け止め、再発防止・・・・徹底する」とか定型の文言を言っているらしいが、組織ぐるみで行っていた行為に再発防止云々を言う資格はあるまい。
以下に今回の報道内容を記載する。

秋田書店が漫画雑誌の読者プレゼントで景品数を水増し掲載していた問題で、社内で不正をやめるよう訴えた景品担当の女性社員(28)が「プレゼントを窃取した」などとして景品数を水増しされていたことが20日分かった。
女性側は「罪をなすりつけられた」と主張。「組織的不正」として景品表示法違反(有利誤認)で秋田書店に措置命令を出した消費者庁の調査で主張が裏付けられた形となり、解雇撤回を求めて提訴する考えだ。
女性の説明や加盟する労働組合「首都圏青年ユニオン」などによると、女性は不正のあった雑誌でプレゼント担当を4年以上務めていた。
担当になった際の引き継ぎで不正を知り「一つの商品しかないのに、当選人数を10人にするのはおかしい」などと上司に訴えたが、「会社にいたかったら文句を言わずに黙って仕事をしろ」と言われたという。
女性は不正を続けているうちに睡眠障害や適応障害を発症、2011年9月から休職していたが、12年2月29日に「多数の読者にプレゼントを発送せず、不法に窃取した」と書かれた解雇通知書が送られてきた。
女性やユニオンは仕事を理由とした病気の発症で休職中に解雇するのは無効と主張。窃取と指摘された点について「会社の指示で当選者の数に満たないプレゼントしか準備されていなかった」としている。
ユニオンの神部紅事務局次長は「不正を強制しながら、罪をなすりつけて懲戒解雇したのは許せない」と話す。
女性は「不正をやめるべきだと何度も訴えた。消費者庁に不正を指摘され、会社も認めたのだから、解雇を撤回して謝罪すべきだ」と訴えている。
秋田書店は「解雇と不正は別問題だと考えるため、コメントは差し控える」と話している。

私のコメントより、この報道に対する記事に寄せられたコメントを記載したいと思う。(適当に抜粋)

クズ過ぎワロタ

これは最低な会社だな 文句ナシに会社が悪いだろ

取り敢えず訴えるべきだが、こんな会社で労働する意味ないぞ

解雇と不正は別問題って繋がってるじゃねーか

すばらしい社員がいたのに、それを冷遇するなんてアフォな会社だこと。商売がわかってないアフォ上司こそ解雇だろ

誰でも考える事と言いたい事は同じようですね。

2013年8月1日(木)
日本の司法レベルが信じられない程低いと感じるのは私だけでは無いと思うが、そう感じてしまう報道が今日の読売新聞のニュースにもあった。
「遺体写真見たくない」…裁判員辞退を容認 である。
内容を抜粋(要約)すると以下のようである。

殺人などの重大事件の裁判員裁判で、遺体などの写真を示す場合には裁判員を選任する段階で説明し、不安を訴える人の辞退を柔軟に認める新たな運用が東京地裁で8月1日から始まる。
裁判員の精神的負担に配慮した措置で、最高裁は全国の裁判所に対し、東京地裁の対策を参考にするよう通知した。

  ことの発端は、今年4月に、死刑判決を言い渡した福島地裁郡山支部での強盗殺人事件の裁判で、裁判員を務めた60歳代女性が、被害者の遺体のカラー写真を見たことなどが原因で急性ストレス障害を発症して国家賠償請求訴訟を起こしたからである。
最高裁判所の連中が、国家賠償請求訴訟を度々起こされては堪らないから、気持ちが悪くなるような写真は、裁判員に見せないようにしなさいと言う事だろう。(参考にしなさいと書いているが実質は強制になるだろう)
こんな事を考えるのが、司法の最高に位置している最高裁判所の連中なのだから、日本に司法のレベルは世界でも最低に近いものだろうと推測できる。

私などが改めて言うまでもなく、裁判所とは常に真実を求めて最良の判決をしなければならない機関だろう。
それが、裁判の場に於いて死体写真は残酷だから、見せないようにしても良いだろうなどと考えるのは、幼稚園児以下の知能の人間が考える事ではないだろうか。
被告がどんなに若く事件を起こした事を反省して悔い改めていても、被害者の女性が強姦された上に、首を絞められて殺害された悔しさ(無念さ)を滲ませた死体写真を見れば、罪を軽くしてやろうなどと考える裁判官はいないと思う。(それほどまでに現場の状況を知る事は裁判にとって不可欠なものであるとの意味)
この女性が強姦されてから殺害された事件では、刑が非常に軽かったので遺族が裁判のやり直しを何度も求めたようであるが、今の裁判所では過去の判例から人を一人殺した場合は5〜10年、2人を殺した場合は無期、3人以上は死刑だとかとマニュアル化されているようである。(個々の犯罪の内容を緻密に検証はしていないと言う意味)
だから、陪審員制度でも死体写真を見せる必要などはないし、マニュアル通りの判決をすれば良いと最高裁判所の連中が考えての通達だろうが、これでは裁判とは単なる形式化されたショーではないか。(実際にも過去の判例は陪審員に手渡して参考にさせているようであるから、今の陪審員制度はショーと考えても良いのだが)
今の裁判をやるぐらいなら、以前に私が書いたように、過去の判例を記憶させたコンピュータを裁判長席に置いて判決させた方がどれだけ効率的で低コストで済むだろうか。
日本の裁判所は、この程度の低レベルであるのが、過去の裁判を見れば誰もが認識できるだろうと思う。

そもそも、アメリカを真似た本来の(まともな)陪審員制度は日本では無理だったのである。
低レベルな司法による判決を少しでもまともな判決に導くために、アメリカかぶれした人間(マスコミも含めて)が陪審員制度を取り入れたのだろうが、現実は以前より更に状態が悪くなっている。
途方もない金額をつぎ込んで立ち上げた施策ではあったが、そろそろ失敗(無理)だったと認めるべき時期に来ているのではないだろうか。
今止めると、日本は又世界に醜態を晒す(低レベルな国家として)事になるだろうが、事件の核心に触れる部分を裁判員に見せなくても良いなどと決めるよりは、遥かに増しな措置(陪審員制度を止める事)であると私は考えている。
裁判をセレモニー(ショー)にするのは、もう止めていただきたいものである。

だいたいに於いて、裁判官のレベルが低いから民間人から裁判官を選んで判決を行おうとする手法が間違っているだろう。
日本の裁判官のレベルが低いのはなぜなのかの根本的部分から考え直さないと解決できない問題である。
このようなやり方を続けるのでは、一人の馬鹿な上司(最高裁判所)が滅茶苦茶な人事(場当たり的な対応)を行って、連鎖反応的に潰れてしまう会社(司法制度の崩壊)の流れそのものである。
糞会社の一つや二つが潰れるのは一向に構わないが、日本の司法が崩壊する(まともな裁判が行われない)のではないかと小心者の私は危惧してしまう。
今回の最高裁判所の通達(措置)は、一見当然の事のように思えるので目立たないが、それだけ問題の多い(社会への影響が大きい)内容だった。

2013年7月27日(土)
5月23日に拉致問題解決のために安倍総理が北朝鮮を訪問するのは近いのではないかなどと私は書いたが、赤っ恥をかいてしまった。
北朝鮮を訪問していた飯島内閣参与が「事務的教義はすべて終わった」とか、菅義偉官房長官が「そういうことについて答えることは控えさせていただきたい」、「首相はこの政権で、首相の手で、拉致問題を解決したいという強い意欲を持って取り組んでいる」と思わせ振りな事を言うものだから、馬鹿正直な私はすっかり騙されてしまった。
飯島 勲(いいじま いさお)とかいう男に過剰な期待をしていたのが原因だった。
所詮はただの議員秘書程度の能力しか持ち合わせていない男で、子供の使い走り程度の能力しかない人間だったのだろう。
今回の訪朝も北朝鮮には良いように扱われ、向こうの宣伝材料にされてしまったようである。
この男が言っていた「事務的教義はすべて終わった」の意味は、相手の話は全て聞いてきましたと言う意味だったようである。
馬鹿か!と私はいらつきを覚えるが、日本の官僚や政治家などは、この程度のレベルの人間が全てであると言っても良い。

最近では維新のアントニオ猪木議員が訪朝してサプライズ外交をやるとか言っているが、政治の素人が北朝鮮と外交をやろうとするのは危険極まりない。
自民党の菅義偉官房長官なども記者会見で自粛を求めたと言っているし、維新の橋本代表でさえ「いまの参院議員の任期が満了する28日までは、猪木氏は民間人だ。訪朝に問題はない」と問題が起きた場合の予防線を張っている有様である。
スポーツ出身者には悪い人間は少ないと思うが、社会経験が浅いだけに他人に騙され易い点が私も心配である。
今回の訪朝で、北朝鮮がアントニオ猪木議員は日本との外交に利用できると考えれば、そこそこの人間がアントニオ猪木議員と面会(接触)をするだろうから、北朝鮮の動きに注目をしている。

拉致問題解決のための私の考えを言わせて貰えば、もうだらだらとこの問題を先延しにするべきではない。
拉致問題だけだったら、それこそ以前の民主党が考えていたように、被害者家族が高齢になって叫ぶ人が居なくなるのを待てば良いだろうが、どんなに極悪非道な国家であっても、日本の近隣に存在している以上はその動向を探り、暴走しないように見張らなければならない。(暴走した場合の対応も考えておく必要がある)
日本人は呑気な性格の人が多いので、泥棒が入ってから縄をなうタイプの人が大部分だが、泥棒が入る前から泥棒に入られた場合にどうするべきかぐらい考えるのは社会常識と言うものだろう。
故意でも、偶発でも北朝鮮からミサイルが日本の首都を目がけて飛んできたら、今の日本はただおろおろするだけしかないだろう。
丸腰の人間を他人は襲わないなどと言う理論は、中国の動向を見れば間違いであったのがはっきりしたし、平和主義とか平和憲法さえ唱えてさえいれば日本は安泰であるなどと考える人は、一部のお目出たい政党関係者ぐらいなものである。
他国が攻めてきたら、おろおろするだけしかないのでは余りにも情けない状態ではないか。
兵法には逃げると言うのも手段の一つのようだが、ひたすら逃げる事しか選択肢にないのが日本の現状である。
私が何度も言っているように、日本は平和ボケの国民(明日は明日の風が吹く的な考えを好む国民)なのである。

話を戻して、拉致問題解決のための私の考えを述べさせて貰う。
飯島参与とかアントニオ猪木議員が北朝鮮を何度訪朝しても問題は解決できないと思う。
恐らく、多少の成果を小出しにされて、やたら金をむしり取られるだけになるだろうと思う。
私の解決策は以下の通りである。
(1)拉致問題を解決したいと北朝鮮に提唱する。
政府レベルで拉致問題の解決(今後北朝鮮に拉致については議題にしない)を提唱しないと北朝鮮はテーブルに着かないので、これは絶対に必要な事である。
大事な点は、解決の難しい他の議題(日本だけでは決められない問題)と一緒にしないで拉致問題だけに限定する事である。
最近の北朝鮮は中国に嫌われているとの報道もあるので、例によって金銭的な代償は求めてくるだろうが、提唱に乗ってくる可能性は高い。
(2)交渉団に全権限を委任する
日本人は決断力が乏しい人が多いので、交渉でもやたら持ち帰って検討するなどと言う人が多いが、はっきりと決断できる人が交渉団になる必要があるだろう。
交渉は2,3日以上掛けても良いから、これで最終的に決めるのだと言う決意が交渉団には欲しい。
交渉団を送りだした人も、決めた事に対して後でからああだこうだと言うべきではない。
後でから何だかんだと批判するのは馬鹿マスコミだけで十分だろう。
交渉団には安倍総理が自ら乗り込む必要などはなく、総理の権限を委譲された人間で十分だろう。(安倍総理は小泉元総理のような目立ちたがり屋ではない)

私は北朝鮮との交渉団には、家族会の人達が加わるのは当然だろうと思う。
必然的に代表の飯塚繁雄氏と拉致問題の発端となった横田滋氏が加わるべきだろうが、私は横田滋氏よりは妻でありめぐみさんの母である横田早紀江さんが適当ではないかと思う。
最低でもこの2名は交渉に加わる必要があるだろう。
両名共、考え方に筋が通っているし、物事を冷静に判断できる人であるのは外見や行動から見てとれるので、安心して任せられる人達だろう。
民間人を政府の交渉団に加えるのはとんでもないと騒ぐ人(マスコミ)も多いだろうが、裁判を民間人にやらせて得意になっている国家なのだから何ら驚くべき事ではない。
(3)拉致された人の救済を期限を設けて対応する
北朝鮮には未だ知られていない拉致被害者も多く生存しているようである。
今回で拉致問題を解決するとは言っても、これで完全に打ち切るのでは救われない人も多いだろうと思われる。
そこで、北朝鮮には日本人の救済機関を設けて拉致されて日本に帰りたいと思っている人の帰国の援助と今後の生活の保障をしてやる必要があるだろう。
これもだらだらと何年も続ける訳にはいかないだろうから、1年程度の期間を切って北朝鮮でアナウンスをすれば数人程度は名乗り出るのではないだろうか。

私は部外者の人間だから適当な事を書いているだけだが、この程度の事なら誰でも考えつく事ではないだろうか。
無能な集団の民主党では全く駄目だった(誰も期待はしていなかった)が、今の安倍総理なら数パーセント程度の可能性(拉致問題の解決)ならありそうな気がする。
この程度の事も解決できないような国家など、世界の中でも少数だろう。
国民も(このような状態に対して)誰も情けないと感じないのだから、長生き出来る人が多いのは理解できる。
長生きするのはお目出度い事だと喜んでいる人達のお目出度たさを感じるのは私だけではあるまい。

2013年7月18日(木)
東京選挙区で鈴木寛(49)とか言う候補者が、選挙演説中に女性に殴られて、やけに目立つ馬鹿でかい絆創膏をつけて演説をしているようである。
本人は、「民主主義を脅かす行為に対しては断固として戦う必要がある」とかフェイスブックに書いているそうだが、どんな女だったのかは知らないが、相手がプロレスラーの女でもなければ殴られただけでも恥ずかしいのに、額に目立つ絆創膏をつけ「民主主義を脅かす行為」などと表現するのは馬鹿丸出しも良い所である。
本人は暴行を受けた事を自分の宣伝にしているつもりだろうが、こんな軟弱な男は確実に落選するだろうと私は見ている。
日本人はこの男が甘く見ている程、幼稚な人間の集団ばかりではない。
この馬鹿さ加減は、どっかのお坊ちゃま育ちのせいなのかも知れないが、もう一度幼稚園から入り直した方が良いのではなかろうか。
一般庶民との感覚のズレがひど過ぎる。
【注記】
鈴木 寛(すずき かん、1964年2月5日 - )は、日本の政治家、社会学者、元通産官僚。民主党所属の参議院議員(2期)、元文部科学副大臣。超党派スポーツ振興議連幹事長、東京オリンピック・パラリンピック招致議連事務局長。日本ユネスコ委員。大阪大学招聘教授、中央大学客員教授、電通大学客員教授。
兵庫県明石市生まれ。灘高等学校、東京大学法学部公法学科卒業。東大卒業後の1986年4月、通商産業省に入省。資源エネルギー庁に配属された後、国土庁への出向を経て、通商産業省産業政策局や生活産業局に勤務する。その後オーストラリア・シドニー大学特別研究員を経て帰国し、本省での勤務の他、山口県への出向も経験した。
警視庁は16日、参院選東京選挙区に出馬した民主党現職、鈴木寛氏(49)の頭を殴るなどしたとして公選法違反(自由妨害)と傷害の疑いで、東京都杉並区の職業不詳麦倉右子容疑者(39)を送検した。
警視庁によると、当時麦倉容疑者は酒を飲んでおり「演説の音がうるさかった」と供述している。
送検容疑は14日、東京都武蔵野市で選挙活動していた鈴木氏にお茶をかけたり、ペットボトルで殴りつけて頭に軽いけがをさせたりした疑い。

2013年7月15日(月)
アメリカ社会の癌の一つは国民に拳銃所持が認められている点だろう。
学校で銃の乱射で多数の子供が殺害されたり、幼児が誤って銃で親や兄弟を殺害したり、つい最近は黒人の高校生の少年(17歳)が自警団の男(29歳)に射殺された事件があった。
裁判は正当防衛か否かで争われていたので被告の29歳の男は無罪になったが、日本では考えられない話である。
いくら日本人が人真似好きな国民でもアメリカのような一般国民が銃を自由に所持できるようにして欲しいなどと考える人は皆無だろう。
確かに腕力に乏しい女性が自由に拳銃を所持できたら、強盗や痴漢に対しては有力な武器になるだろうが、それ以上にアメリカのように悲惨な事故が後を絶たない点が問題である。(女性の場合は銃の所持よりも危険な場所には近づかない事と安全な町にするための防犯体制の強化の方が有効だろう)

今回のアメリカの黒人男性の射殺事件でも、正当防衛なのかどうか以前に銃を所持する必要があったのか、発砲するにしても射殺しなければならないほど身に危険があったのかとなると状況を全く知らない私でも疑問を感じてしまう。
日本の警察でもそうだが、アメリカの警察でも相手を射殺する場合はそれ相応の危険な状態でなければ認められない。
正当防衛として裁判で認められているのだから、射殺された少年は凶器を振り回していたとしか考えられないが、焦点となるべき裁判の内容は報道されていないようなので、人種差別的な裁判ではないかと疑われるのは当然だろう。(どうやら少年は丸腰だったようである)
繰り返すが、正当防衛かどうかよりも、アメリカは西部の開拓時代ではないのだから、一般人が銃器を携帯する必要などはあるまい。
だいたい自警団とはどんな存在で、警察とどう違うのかも全く報道されていない。(サイトの報道内容しか見ていないので、詳しく知らないのは私だけなのかも知らないが)
言うまでもなく、アメリカでも銃の規制は何年も前から叫ばれ続けているのに、少しも改善されないのは銃の製造販売をしている関係者のいわゆる族議員が多いためと言われている。
銃の販売で膨大な利益を挙げている企業が国会に息の掛かった人間を送り出しているために、銃の規制強化が様々な理由をつけられて成立ができないのだそうである。

日本には全く関係ない事だと無視して良いのだろうか。
日本人がアメリカに対して銃を規制すべきだなどと言う必要は全く無いが(維新の橋本代表のように米軍に風俗営業を活用しろだとか言うようなものだから)、族議員と呼ばれる連中がどれだけ国民の声を無視して自分の利益だけで行動する人種であるのを見つめる必要はあるだろう。
日本で族議員として有名なのは郵政関係の議員と電力会社関係の議員だが、目立たないように特定の組織のために動き回っている連中はそこかしこに存在している。
何時、誰が、国会でどのような発言をしているのかは常にチェックする必要があるだろう。
それはNHKニュースなどをいくら見ても決して分からないから注意すべきだと思う。
本来は、国会議員は特定の団体や特定の地域や特定の業種のために活動すべきではないのだが、投票する国民が自分達だけのために当選させたいと思っているのだから、日本国民の意識も向上しないといけないのだが、日本国民にそこまで期待するのは無理だろう。(清き一票などと言っても、実際の選挙は汚れている部分が多い)
せめて、銃のような悲惨な事故が繰り返される原因となっているものを製造販売している関係者の回し者(協力者)議員などから、順番に排除すべき(されるべき)だろうと思う。
日本では、現在は原子力発電所などが危険な存在になっているから、電力会社の回し者議員には注意した方が良いと思う。
そうは言っても、反原発を唱えていても実は回し者だったなどと言う議員も居るようだから、誰が族議員なのかを調べるのは簡単ではなさそうである。
取りあえずは、電力会社から多額の献金を受けているような国会議員から発言内容や行動をチェックするしかないだろう。
根本的には脱原発に反対する日本人は電力会社関係の人達だけだろうから、コストアップをしないでにどうやってそこまで持っていくかを考えれば良いだけの筈である。

【注記】
米フロリダ州サンフォードの住宅街で2012年2月、通りがかりの黒人の男子高校生を不審者とみて、もみ合いの末に射殺し、殺人罪に問われた元自警団のジョージ・ジマーマン被告(29)に対し、サンフォードの陪審団は13日、無罪の評決を下した。
被告は高校生に暴力をふるわれたことによる正当防衛を主張していた。
この事件は当初、捜査当局が正当防衛をあっさりと認めて訴追せず、人種差別論争に発展した経緯があり、裁判は全米の注目を集めた。
検察は第2級殺人(計画性の薄い殺人)の罪で起訴していた。
事件は住宅街の知人宅を訪れていた高校生が夜、近くで買い物した後、徒歩で知人宅に戻る際に発生。 住宅街の住人で自警団の仕切り役だった被告が高校生を不審に思い、後をつけたとされた。
検察は「警官気取り」の被告が偏見と嫌悪を持って高校生を追跡したのが事件の原因で、撃つ必要がないのに撃ったと指摘。
一方、被告側はもみ合いになった際、地面に頭部を打ちつけられるなどして命の危険を感じ、発砲したと主張した。
被告はマイノリティーのヒスパニック系で、黒人への人種的偏見については否定していた。

一通りニュースを読んだ個人的な感想は、上記の太字の部分が最も真実に近いのではないかと考えています。
日本でもアメリカの陪審員制度を真似ておりますから、被害者が中国人の子供なら同様の判決になる可能性が高いと思います。
日本人は、閉鎖的な民族ですから、外部の人間に対しては協調的な関係を築く事ができません。(過去の歴史から見て仕方ないとも言えますが)
アメリカ人も一見協調的な民族に見えますが、ハロウィンで変装した人間をいきなり射殺する事なども多く、警戒心の強い民族のようです。
人種間に対して閉鎖的な面に関しては、日本でもアメリカでも非難する事はできないと思います。(外国人に対して排他的なのは、どこの国も似たり寄ったりでしょう)
日本の場合は、同じ民族に対しても陰惨な「いじめ」が大人子供を問わず平然と行われておりますので、グループ(仲間)意識が強すぎる民族と言えます。

2013年7月13日(土)
Speakも更新が滞っておりますが、別に参議院選挙があるから政治的な話を控えているとかではありません。
私自身は、何度も書いているように無党派層ですから、どこの党を応援したいとかは全く思っておりません。
今回の参議院選挙にも投票には行かないでしょう。
誰かが選出されるのだから選挙には行くべきだと言う考え方が日本では正論となっていますが、無党派層の人達は心が寛容ですから、誰が当選しても受け入れる事が出来ます。
それと、選挙に行くのは国民の義務などではなく、個人の意思である事もはっきりと言わせていただきます。
補足すると、自民党が圧勝する事が分かり切っている選挙に、わざわざ時間を割いて自民党に投票する意味はありませんし、これ以上自民党を自惚れさせる必要などないでしょう。
過剰な圧勝は碌な結果にはなりません。
それなら野党に投票したらどうかと言われるかも知れませんが、いくら無党派層でも共産党や社民党に投票する気が起きないのは皆さん(大多数の日本人)と同じです。
社民党は福島おばさんが完全に壊してしまいましたので、老いぼれてしまった村山元総理を担ぎ出しているようですが、どうあがいても支持が回復するのは無理でしょう。
村山さんは自叙伝でも身内に配って、自画自賛しているのが似合っております。

共産党は相変わらず消費税を凍結して、その穴埋めを大企業の余剰金を放出させて充当するとか「ちらし」に書いてありましたが、こんな小学生でも疑問符が3つ4つはつく考え方を示すようでは、国民に受け入れられる訳がないでしょう。
仮にそんなことができたとしても、大企業の余剰金を使い果たした後はどうするのでしょうか。
結局は増税するしかないでしょう。
それに共産主義だから大企業を憎むというのは分かりますが、多くの国民は大企業におんぶに抱っこして貰って生活をしているのです。
私の稚拙な考えでは、川上が崩壊すると川下に水は流れてこないように思えます。
日本の大企業は今でも世界の市場では青息吐息なのに、それを解体する事がどれだけ国民の利益になると言うのでしょうか。(結局、国民が潤うのは一時的なものでしょう)
こんな質問をすると、共産党員なら党が配布している回答用のマニュアルを見て、共産党(共産主義)の考え方がどれだけ素晴らしいものなのかの模範回答を示せるのでしょうが、何だかんだ理屈を並べられても日本が社会主義国家になる事など、どう考えても今後百年はあり得ません。(共産党が凍結すると言って、党の宣伝の種にしている消費税が50%にでも引き上げられれば多少可能性はありますが)
支持率が低過ぎてどんなに当選する見込みのない立候補者の方でも、当選を目指して頑張っている姿には、私は尊敬よりも悲哀感を感じてしまいます。
日本を社会主義国家にする事が、その方の人生の生き甲斐(心の支え)になっているのでしょう。(馬鹿にしてすみません、下っ端(共産党を支えている人達)の共産党員の方々)

公明党は組織の力で集票して勢力を伸ばしてきた政党ですが、参議院選挙も投票率が低ければそれなりの集票ができるでしょうが、所詮は自民党などとくっついて生きるしかできない政党です。
まるで国会では自民党の妾のような存在と言えるでしょう。
今の代表はどうにかまともな事を言えているようですが、昔の公明党の幹部のテレビコマーシャルでの姿を見ると知能程度を疑うような人ばかりでした。(今でも公明党のレベルは、地域の便利屋程度が精一杯だろうと思っていますが)
自民党が圧勝して、今後は公明党を必要としなくなったと確信した時に、公明党は国会での存在意義を失う可能性は高いです。
妾の存在ですから旦那のいう事には決して逆らいませんが、当人の考え方(はっきりとは示せませんが)はかなり旦那とは異なっているようです。 違うでしょうか?。
老婆心ながら、そろそろ捨てられた時にどうしたら良いのかぐらいは、考えておくべきだと思います。
今の支持率では独り立ちは難しいでしょう。

みんなの党とか維新の会は私の好みのタイプになりそうなのですが、いかんせん渡辺代表は器が小さいですし、橋本代表も慰安婦で発言が問題になったように政治に関わるには幼稚過ぎます。
国民の支持を得られるようになるのは、まだまだ先の事になりそうです。
ところで、圧倒的勝利を収める自民党の今後ですが、現在は安倍総理や幹事長がしっかりしているようなので、政策のミスや不用意な閣僚の発言も見受けられません。
ただ、自民党の過去を知っている身としては、そのうちに国民の利益を無視して、企業との癒着ばかりの政党になるのではないでしょうか。
既にその兆候は現われ始めているようです。
信頼の置けない自民党が圧勝するのでは、私の無党派層の生活は当分続きそうです。
ここまで書いて民主党を忘れている事に気が付きました。
一言だけ書きます。そう言えば「民主党」とか言う名前の政党が存在して政権を取ったこともありましたが、中身がひど過ぎました。私も期待した人間の一人だったのですが反省をしています。

2013年6月27日(木)
「NHK 外国語使いすぎ」 精神的苦痛、慰謝料求め提訴と言う報道があったので、ちょっとコメントしたいと思う。
訴状は、岐阜県可児市の任意団体「日本語を大切にする会」で世話人を務める高橋鵬二と言う71歳の方が出したもので、NHKは外国語を乱用しているので、憲法で保護された知る権利や幸福追求の権利を侵害しているのだそうである。
「NHKは国家機関が関与する公共放送で、広範囲で視聴できるため影響力が強い」のだそうで、公共性の高いNHKが日本語を軽視する姿勢にも強い疑問を持っているらしい。
この人の代理人である宮田陸奥男弁護士は「彼の訴えの根底には日本文化の軽視と急速な欧米化への憂慮がある。今回は裁判は勝ち負けではなく、問題提起の意味合いが強い」と最初から勝つ気もないようだし、更に「ニュースや、解説でも多用されているのもどうか。(提訴に)批判があるのも承知している」とも述べているというから、ひどい弁護士を代理人に雇ったものである。
こんな人に弁護を頼んだら、勝てる裁判でも負けてしまうだろう。

そうは言っても、宮田陸奥男弁護士の言う通り、確かに敗訴は確実である。
その理由は、精神的苦痛を受けているのであれば、NHKの番組を見なければ良いからである。
誰も高橋鵬二とかいう方に、NHKの番組を見なさいと強制はしていないし、NHKに受信料を払っていると言うのであれば、NHKとの契約を打ち切れば良いだけの話だからである。
多くの日本人は、この人のようにNHKは公正中立で日本を代表する放送局であると思っているが、実際には法律(放送法)を盾にして、日本国民から金を徴取しているので、コマーシャルなしで運営している国内唯一の放送局なだけである。
放送内容や報道姿勢などに、一般の国民が口を挟む余地などは基本的には全くない。
仮に放送内容を全て英語にしても口は挟めないのだが、さすがにそこまではやらないし、そこまではやれない。
せいぜい、日本国民に対して様々な事象に誘導を加える(先入観を与える)ぐらいなものだろう。(これが実は恐ろしいのだが)
先日も、犯罪事件の報道に偏向内容が含まれているとかで、どっかの法律関係者がNHKに苦情か公開質問状を出したようである。

今回の外国語の多用などはどうでも良い事だが、あと10年もすれば、NHKの存在はおかしいと感じる人が国民の半数近くになるのではないかと私は考えている。
それほどまでも、NHKの報道姿勢には疑問を感じる部分が多い。
日本国民の教育者的な報道内容(報道番組)が余りにも多過ぎるのである。(つまりは個人の考え方(思想)を誘導していると言う事で、宗教団体に入ると洗脳されるのに似ている)
誰かがNHKを媒介にして国民の意識調整に利用しているのは間違いないだろうと私は思っている。

2013年6月12日(水)
陸自が独自の天気予報公表、気象庁が注意 の報道があったが、相変わらずの官僚思考だと感じたの私だけではないだろうと思う。
気象業務法施行規則に違反している可能性があるから止めるようにとの事だが、言いたい事は次のような事だろう。
「天気予報は俺様達が独占的にやるものだから、他の連中は口出しをするな!」
確かに気象庁には金があるから天気を予報するための設備は優れているだろうが、あの地震の時も全くお粗末なもので、もっと的確な予報を出しておれば死傷者は少なくて済んだだろうと思っている人は多い。(NHKの地震の報道にも問題はあったが)
陸上自衛隊が気象庁の名を騙って天気予報をしたとか、継続的に天気予報を行っていると言うのなら問題もあろうが、1,2回独自の天気予報をしたからと言って目くじらを立てるほどの事はあるまい。
以前にも、台風情報を気象庁より前に発表した気象情報会社に同様の注意をしているようである。
注意の理由としては、「台風情報は、混乱を防ぐために一元化しなければならない」と言っているのだが、要は先を越されて悔しい思いをしたからだろう。

私は天気に関する事は気象庁以外に行うことはまかりならんと言う考え方自体にも少々違和感(疑問)を感じる。
法律がどうのこうのの論点で話をしているのなら、これは少々無理と言うものだろう。
法律は解釈しだいでどうにでもなるので、今回も気象庁では「違反している可能性がある」と言葉を濁している。
例えば天気予報は個人では無理だが、同じ気象庁の管轄である地震の兆候などについては、隣のおじさんの飼っているなまずが急に騒ぎ出したとか取り上げて、ネットで流しても問題はないだろうと私は考えている。
今の時代に、この情報を流すと社会がパニックになるほど、日本国民のレベルは低くはない。
隣のおじさんの飼っているなまずが騒いだのなら、多少は地震に対する対策を見直してみようとか、注意を喚起する程度のことだろう。
気象庁長官の許可無く予報結果を発表するのはけしからんとわめきたがるのは、折角得た権利をおびやかされるのを嫌う官僚思考の最たるものだろう。
この報道を見て、いっそのこと天気予報業務はもっとオープンにして民間会社と競争をさせた方が良いのではないかと考えさせられた。
その方が気象庁も、もう少しまともな思考ができるようになるだろうと思う。
社会が混乱するからとか言う訳のわからない理由で一元化されているのがおかしいと感じてしまった。

2013年5月29日(水)
冒険家の三浦雄一郎さん(80)が心身疲労でエベレスト下山にヘリコプターを利用したことについて、ネット上で登頂成功と言えるか議論になっているとか書いてあった。
こんな事でぎゃあぎゃあ騒ぐのは日本人なのだろうが、80歳にもなって登頂できたと言うのが奇跡的なことだろう。
普通の人間なら、平地でもかなりの人数の人は、老衰で死を迎えてもおかしくない年齢に達している。
登頂の成功と認定できる規定があって、ベースキャンプまで歩いて下山しなければ認められないと言うなら、登頂失敗でも良いではないか。
三浦さん本人にも悔いはない(記録とか名声を得るためにエベレストへ登頂したのではあるまい)だろうし、下山時に無理をして生命を危険に晒す必要はない。
少なくとも自力で山頂に立ったのは事実であるし、三浦雄一郎さん(80)の偉業には変わりがない。
そこから力尽きてヘリコプターで下山したからと言って、非難されるものではないし、三浦氏本人も限界を感じて要請をしているのであるから、全く問題はない。
それに対して、何だかんだと文句(ケチ)をつけているのは、低レベルな口先だけの評論家タイプの人間だろう。
評論家と言うものは、人の荒探しをしてケチをつけるのは得意だが、自分では何一つできない無能力者達である。
日本にはこんな輩(やから)がうじゃうじゃ居る。(世界の中にも居るだろうが、日本には特に多い)

今回の登山とは関係ないが、評論家タイプの人間が多いのが政治家連中で、最近では橋下徹大阪市長をぼろくそ言っているようである。
私も5月14日のSpeakで述べたように、慰安婦制度を容認するあの発言はいただけなかったが、あの発言で責任を取って知事を辞めなけれなならない程の事ではないだろう。
例によって、低レベルな女性の国会議員連中が、女性蔑視の発言だとか、女性の人権無視だとか騒いでいるようだが、金儲けのために自分の体を売る女などどこにでも居る。
だからと言って、それは、その人の生き方(人生観)なのだから、男の奴隷のような仕事をしていたとしても、放っておけば良いではないか。
体は売ってもお金儲けして贅沢に暮らす事に意義があると考えているのだから、周りが口を挟む事ではないし、人の生き方に他人は口を挟むべきではない。
民主党の辻元清美議員は橋本知事の事を大阪の恥だとか言っていたが、私から言わせて貰えば、あんたこそ日本の恥だろうと言いたい。
夏の参議院選挙では、自民党の大勝利は決定的だろうから、橋下徹大阪市長は発言の責任を取って、維新の会の代表を退くのは、十中八九間違いがないだろう。

橋下市長は私の好きなタイプの人間ではないのだが、多少軽率にしゃべり過ぎるだけで、雄弁で政治家としての能力は高いのだから、辞めさせるのはもったいない気がする。
もし、みんなの党の渡辺代表がもう少し利口な人間であったなら、将来は維新の会の代表に成って、自民党と張り合える巨大政党に導けたのではないかと思っていたのだが(そのチャンスは十分にあったのだが)、物の考え方や行動のスケールが小さ過ぎるようである。
所詮はみんなの党は線香花火の党(時々ちかちかするだけ)で消えてしまうような気がする。
日本国民の、この党に対する支持率を見ても分かる通り、みんな党単独ではやれる事に限界があるのが、はっきりと見えている。
橋下徹大阪市長が失脚するのを見ると、どうやら日本ではまともな政治家は育たないようである。
日本国民の意識が余りにも低いためなのか、馬鹿マスコミが多いせいなのかは不明だが、非常に残念な事だと思う。
評論家を100人集めても、ぴいちくぱあちく五月蠅(うるさ)いだけで、物事は何も進まないだろう。

2013年5月23日(木)
安倍首相が、拉致問題解決のために、早ければ今月末に北朝鮮を訪問するのは間違いがないようである。
北朝鮮を訪問していた飯島内閣参与が「事務的教義はすべて終わった」と述べているし、菅義偉官房長官が23日午前の記者会見で訪朝の可能性を問われて「そういうことについて答えることは控えさせていただきたい」、「首相はこの政権で、首相の手で、拉致問題を解決したいという強い意欲を持って取り組んでいる」と言っているのでも明らかである。
私は、去年の12月28日のSpeakで以下のような事を書いていた。

拉致被害者家族会メンバーが、「もう待てないというのが我々共通の立場。来年早々にも具体的な対応をしていただき、早いうちに道筋をつけてほしい」と安倍晋三首相や菅義偉官房長官、古屋圭司拉致問題担当相に言ったそうだが、日本は北朝鮮とのパイプを失っている。 日本単独での制裁も効果は期待できないようだし、もう絶望的な状況だろう。
安倍首相は「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」と述べたそうだが、もう無理だとも言えないし困り果てているだろう。
もし、解決できる手段があるとすれば、アメリカや中国が何らかの介入した場合のみだろうが、その可能性は無いだろう。
安倍首相が言ったオールジャパンにも意味があって、目立ちたいためだろうが勝手に北朝鮮の人間と面会や交渉を行う国会議員が後を絶たないからである。

私の絶望的な状況だろうとの予測は大外れだったが、素直に安倍首相には謝らなければならないだろう。
馬鹿マスコミは、今回も成果の程度で誉めたりけなしたりするのだろうが、本来は成果云々ではなくて「有言実行」の精神だろう。
以前の野田首相が拉致被害者の家族の前で、「(拉致問題解決のために)最大限努力します」と口先だけ言うのとは大違いである。
訪朝して横田めぐみさんや田口八重子さんが帰ってくるなら言う事がないが、元々絶望的ではないかと考えられる事をやろうとするのだから、成果が無くても行動は称えられるべきだと私は思う。
馬鹿マスコミは、相変わらず北朝鮮にうまく利用されたとか、金だけ取られて成果なしだったとか書くのだろうが、小泉首相の時も相当の代償と引き換えに拉致被害者が帰ってきたのだから、あの頃よりは数倍も難しい状況になっている事を考えれば仕方がないだろうと私は思う。
私も含めて圧倒的多数の日本国民には拉致被害者の心情は理解できないだろうが、それを本当に何とかしたいと考える政治家がいるだけでも嬉しいことではないか。
東日本大震災も被害にあった住民の心の中に入りこまなければ、本当の政治は出来ないだろうと思う。
4月9日のSpeakで、「私は自民党は嫌いだが、安倍晋三首相だけは嫌いになれない。」と書いたが、今もその気持ちに変わりはない。
少なくとも上辺(うわべ)だけの人間には見えないようだが、まだまだ私は人を見る眼が甘いだろうか。
今後の進展に注目したいと思う。

2013年5月19日(日)
警視庁が「振り込め詐欺」の名称の代わりを一般から公募して、最優秀作品に「母さん助けて詐欺」が選ばれたとか、書く事がない暇そうなサイトに書いてあった。
私には「振り込め詐欺」の名称ではなぜ駄目なのか、「母さん助けて詐欺」がなぜ最優秀作品なのか、全く理解ができないのだが、どうでも良い事なのでどうでも良い。
しいて警視庁に苦言を言うなら、そんなくだらない事を考えている暇があったら、もう少しコンピュータ犯罪に対処できるように、人材の確保とか対応方法の検討を始めた方が良いと思っているのだが、警視庁にも標語を考える程度の知能しか持ち合わせていない人が多いので、こんなくだらない、どうでも良い事をやっているのだろう。

日本ではサーバーに侵入されて個人データが盗まれる事など日常茶飯事に起こっているし、企業が侵入された事を公表するのは良い方で、データが盗まれた事を隠す企業が大部分だろう。
問題なのは、官公庁の機密データが盗まれる事で、特に防衛体制や対外交渉に関するデータが容易に盗まれているのは問題だろう。(このような事が、以前にもあった)
最近では中国からの侵入が大部分であるから、尖閣諸島関係の侵入に対する防衛庁の対応策や防衛体制に関する情報を盗まれるのが、日本にとって致命的になる。
さすがに防衛庁のサーバーには簡単には侵入できないだろうが、それらの情報が関係官庁に流れて、そこから情報が諸外国に漏れる事は多い。

どこから、どの程度の情報が盗まれている状態なのか、たまには偽情報でも流して、相手国の反応を見る事も必要だろう。
コンピュータによる侵入は、高度な知識と経験と個人の才能が必要だから日本人には向かないと思うが、だからと言って何もできないと言うのでは情けないではないか。
せめて、資金のある警視庁にコンピュータ犯罪専門のプロへッショナルなチームでも存在していれば、侵入の現状や対応策の提言ぐらいは日常的にできると思うのだが、標語を募集して「母さん助けて詐欺」で決まったと喜んでいるようでは、到底無理なレベルだろう。
前述したが、私の貧弱な知能では、標語の変更によって何がどう変わるのか、全く理解ができない。
標語を変えた事によって、「振り込め詐欺」犯罪が減少したと言うデータを、今後半年ぐらいの間だけで良いから、ぜひ見せて貰いたいものである。

そう言えば、橋本総理の頃に日米自動車交渉を行った際に、日本側の交渉の情報がアメリカに筒抜けだった事があった。
あれから、10年やそこらではきかないだろうに、これだけ情報が漏れるのでは、日本は全く進歩が無い状態が続いているのだろう。
馬鹿マスコミのNHKなどが日本人は優秀だ優秀だと持ち上げてばかりいたので、色々な分野で、これだけの遅れを取ってしまったのだろうと思う。
こんな状態になってしまったのは、警視庁の責任ではないだろうが、警視庁は現状(危機的な状況)を国民に知らせる義務はあるだろう。
ボケかかった老人が金銭を騙し取られる事だけが犯罪ではないのだ。(こんな事は小さい小さい)

2013年5月14日(火)
順風満帆だった自民党の安倍政権にも、あちらこちらでほころびが出始めているようである。
前の自民党の総理で、選挙のための金のばらまきをしたり、長く居座り過ぎたために自民党の陥落(政権交代)の導火線となった麻生 太郎(あそう たろう)金融大臣が、口の軽さから真っ先に問題発言を起こすだろうと思っているのだが、自民党に致命的なダメージを与える発言こそ今の段階では無いものの、韓国などに行っても言わなくても良い事を言ったりして大統領の反感を買っているようだから、その内にポロっと本音発言をして川口順子議員の次に続きそうだと思うのは私だけだろうか。

今日のサイトでニュースを見ていたら、自民党の高市早苗政調会長が、第二次世界大戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)や、植民地支配と侵略へのおわびを表明した村山富市首相談話に疑問を呈した発言をNHKの番組で述べたために、騒ぎになっているとの 報道 があった。
高市 早苗(たかいち さなえ)議員の経歴をウィキペディアで調べたが、1961年3月生まれだそうだから50歳は超えているようだが、こんな年になっても言って良い事と悪い事の区別がつかないのであるから、今の自民党の議員は衆議院選挙の大勝利で相当に浮かれているのであろう。
歴史的風に言えば、今の自民党は我が世の春を満喫している平家のような存在になっているのだから、浮かれるのも無理はないのだが、これでは自民党の先も見え始めてきていると考えても良いのではないだろうか。
高市議員は、あの野田前総理などと同じく松下政経塾の出身者のようだから、歴史認識には独特の考えを持っている(教え込まれている)のかも知れない。

今回の12日のNHKの番組で高市議員は以下のように述べたとされている。
「国家観、歴史観については首相は(歴代内閣と)違った点もあるかと思う」と表明。村山談話についても「『国策を誤り』とあるが、それでは当時、資源封鎖され、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」
この発言で問題となりそうなのは、「首相は(歴代内閣と)違った点もあるかと思う」の点と「それでは当時、資源封鎖され、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」の2点だろう。
安倍総理が歴史観で歴代内閣と明らかに違っていると言いたいようだが、つい最近に従軍慰安婦の件で韓国に対しての村山発言の継承を表明したばかりなのを見れば、本音は兎も角としても、韓国とは対立構造を取りたくないと言う意思がはっきりと表れているのに、この女はNHKで火種を煽ってどうしたいというのだろうか。
更に、「資源封鎖され、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」の発言は、本人は前の戦争を全面的に非難される言われはないとの軽い気持ちだったのだろうが、これでは侵略戦争を肯定する考え方と取られるのは必至である。
自民党の議員が、こんな事を世界に表明して、日本に得になることなど何一つ無いと言うことを、高市 早苗とか言う議員は全く理解できないのだから話にならない。
この考え方では、日本は必然的に戦争を起こさざるを得なかった事になるが、それはあくまで個人的な認識(歴史感)だろう。
世界的には日本は侵略目的で戦争を起こしたと認識が定着しているし、日本でも軍部の独走によって戦争を引き起こしたと考える人は多い。
この議員は、相当の馬鹿(国会議員として極めてレベルの低い人)である。
私は、余りにも無神経な発言に、女が政治に参加するのは無理ではないかと感じてしまった。

私が嫌いな石破茂幹事長さえも、「歴史認識は積み重ねがあるテーマであり、あまり思いつきで物を言うべきではない。国益全体を損なう情報発信の仕方は極めてよくない」と高市氏を批判したそうであるが、その通りである。
当の高市早苗議員は、「党に迷惑がかかったのならおわびする」、「私の考え方は変わらない」言っているそうだから、どうやら救いようの無い人間と思われる。
(歳を取り過ぎているために、頭が固過ぎて説得しても理解するのは無理だろうし、舞い上がるタイプのようなので、他人の意見を聞く耳は持たないとだろうと言う事)

個人が歴史認識をどう思おうと、それは自由である。
しかし、国会議員たるものが、自分の歴史感の赴くままに、どのようにでも行動(発言)できるものではない。
個人々が勝手にそんな事をしていては、組織の意思統一ができないので滅茶苦茶になってしまう。(そんな党もあったが)
世界と付き合っていくには、石橋を叩いて渡るほどの慎重さが必要なのだが、女ではそこまで頭が回らないのかも知れない。
私は男女同権を教えられ、それに沿って行動してきたつもりの人間であるが、それが正しかったのか最近は疑問を感じている。
男女の間に能力差は無いとする、男女同権の考え方は理想論に過ぎないのではないか。(男女を同等に扱うようにするべきであるとの考え方には異論はないが)
世界にはサッチャー首相のような人もいるので女性が指導者には向かないと決めつける訳にはいかないが、どうやら日本では無理のようである。
【注記】
私の男女同権論は、女性には男性と同じ機会は与える(機会均等)べきだが、女性は男性よりも能力は劣っているのではないかと考え方が変わった。
劣ると言う言い方に異論があれば、男性と女性には適材適所があると訂正しても良い。
当然ながら、男性でも女性でも個人差はあるだろうし、仮に女性には指導者としての能力が無いとしても、人間的に見た場合に欠陥になる訳ではない。
付け加えると、私はここで自分の女性論を言うつもりはなくて、日本の女性国会議員のレベルは、かなり低いと言う事を述べたいと思っているだけある。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が第二次大戦中の慰安婦制度を容認する考えを示したことについても一言いいたいと思う。
橋本代表は歴史問題に関して「謝るところは謝って、言うべきことは言う」と言う意味での発言だと繰り返し述べている。
それが根底にあって考えて貰いたいとの事だろうが、発言を受け取る人は橋下徹大阪市長は慰安婦制度を容認したとしか取らない。
後はそれを正当化させるためのつけたしであるだろうと私も考える。
戦争に慰安婦が必要だったかどうかなどは、どうでも良い事だろうと思う。
男性の性欲のはけ口が世の中に必要なのかどうかを議論するようなもので結論など出ないし、結論を出しても意味がないだろう。

本能的に男性は多くの女性と性行為をしたがるものだし、多くの女性はそんな男性の本能を熟知しているので、それを挑発し、利用し、自らも受け入れているのだから、どっちもどっちだろう。
そこに問題があるとすれば、女性が自分の意思に反する行為(被害)を受けているかどうかだけである。
所謂(いわゆる)、男性による強姦行為が行われているとすれば、それは立派な犯罪であるし、人間的にも許される行為ではない。
慰安婦制度が、国家による女性への強制的な行為であったなら、それは国際的にも非難されなければならないのは間違いがないだろう。
橋下徹市長は、「銃弾が飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、精神的に高ぶる猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら慰安婦制度が必要になる」と述べているようだが、彼の浮気をした言い訳を聞かされているようで不愉快な気分になる。
私には男のエゴとしか見えない。(男に都合の良い釈明のやり方)
慰安婦は国家が用意しなければならない性質のものでもないし、かと言って慰安婦の存在を悪だとして絶対に排除すべき性質のものでもないと思う。
前述した通り、戦争に慰安婦が必要かどうかは、たいした問題ではないと私は思っている。
(戦場に慰安婦がいないと兵士は戦えないと言うなら話は別だろうが、古代から戦場には女を連れていかないのが普通である)
韓国でも慰安婦の存在云々よりも、韓国人の女性を日本兵の慰安婦として日本軍が強制連行したとして非難しているだけであろう。

こんなたいした問題ではない事をわざわざ橋下大阪市長が言う事が奇異に感じる。
戦争には慰安婦は必要であり、慰安婦制度は当然の事だと公言して、どれだけ意味があると言うのだろうか。(世間の注目を浴びたい一心からだとは思うが)
下村博文文部科学相は「あえて発言をする意味があるのか。党を代表する人の発言ではない」、「日本の有力政治家の発言について世界で相当誤解されていると感じている中、非常にタイミングが悪い」、橋下市長が在日米軍に風俗業者の活用を求めたことについては「その辺のおじさんではないですから、もう少し(立場を)認識する必要があると思う」と述べたと言うが、私もこの下村博文文部科学相と同意見である。

橋下氏は米軍が風俗業者の活用を禁止していることに対しては、風俗業活用を促したとか自ら語ったらしいが、米軍にとっては余計なお世話だろう。
米軍が風俗業者の活用を禁止しているのは、兵士の士気の問題かも知れないし、軍の統制上の点からかも知れないし、アメリカ人の宗教上の理由からかも知れない。
自分の性欲が旺盛だからと言って、他人の性行動をあれこれ指図する必要などはあるまい。(本人は日本の風俗店の宣伝でもしている気分だろうが)
橋下徹大阪市長と言うのは、どこにでも居る猥談話が好きな(セックスも好きかも知れないが)中年のおじさんなのだろうと推察できる。
そう言えば民主党にも、取材の女性記者に猥談話ばかりして、女性記者の顰蹙(ひんしゅく)を買って訴えられた、仙谷由人とか言う元議員が居た。
女を見るとセックスしか思い浮かばないような連中は、もう政治には関わって貰いたくない。
【注記】
仙谷 由人(せんごく よしと)1946年1月15日生
1990年2月18日、第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧徳島県全県区から立候補し当選。
2011年1月6日、当日発売の「週刊新潮」に、日本経済新聞社の女性記者Mに対して、背中に肩から手をまわした上、自身の陰部が勃起する旨の不適切な発言を繰り返したと報道された。
2011年1月17日、仙谷は「一方的に誤った事実を掲載され、読者に対して誤った認識を抱かせた」として、発行元の文芸春秋と新潮社にそれぞれ1千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴した。
2012年6月12日、東京地裁は「セクハラと受け取られかねない発言であり、記事は真実と言える」との判断を示し、仙谷の請求を棄却、仙谷は敗訴となった。
2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で落選した。

2013年5月10日(金)
5月8日のSpeakに記載したのだが、川口順子議員は辞任する程の事をしでかしたのではないと思ったので、辞める必要はないと思ったが安倍首相はあっさりと解任した。
野党の圧力に屈した弱気の措置ではないかと思ったのだが、冷静に考えて見ると安倍首相の懐の深さを感じる措置だったように思える。
なぜなら、解任を求めてひと悶着あると思っていた民主党の馬鹿面(ばかづら)連中が振り上げた拳を一気に降ろさなければならなかったからである。
公明党の山口那津男代表が「柔軟な対応を欠き、国益の判断ができないという結果(国益を考えた行動ができない集団である事)を露呈した」と野党の対応を批判したそうだが、その通りである。
民主党は今回の件で、してやったと思っているようだが、「負けるが勝ち」の諺(ことわざ)にもある通り、参議院選挙での大敗北を決定的にしたのではないだろうか。
私は自民党の支持者でもなければ自民党に好意を持っている人間でもないのだが、今の野党はレベルが低すぎる。
公明党の山口代表に諭(さと)されるようでは、救い難いほどレベルが低いのだろう。
最近の円安の傾向を見ると、ひょっとしたら日本はかってのように復活できるのではないかと希望すら抱ける展望になってきている。
これは大きいことである。
今の日本国民に最も必要なのは希望(将来の展望)だからである。

2013年5月8日(水)
国会議員と言うのは、自分以外の人を辞めさせたくて辞めさせたくて仕方がない人種らしい。
一人でも誰かが役職を退けば、自分の番に回ってくるチャンスが増えるとでも考えているのだろう。
今回は、川口順子環境委員長(自民)が、25日の環境委員会に出席しなかったために委員会が中止になった事対し腹を立て、野党7党が解任決議案を提出している。
川口順子(かわぐちよりこ)議員が、うっかり寝過ごしたとか、家族で遊びに出かけていたというのなら、ある程度そんな行動をするのは理解できるが、訪中していて楊氏との会合が25日に入ったので、止むなく出席しなかったようである。
訪中から急遽帰って環境委員会に出席するよりも、中国要人との話し合いが重要ではないかと判断しただけのようである。
これが正しい判断だったかは、私には分からないが一般的には開催の延期も容易な委員会よりも、限られた時間を有効に使うのが得策と考えるのは自然だろう。
それを、民主党の池口修次参院国対委員長は、川口氏の自主的な委員長辞任を求めていると言うのだから、私から見ればあの無能だった民主党の連中が何をほざくのかと言いたくなる。

与党の自民、公明両党が予算委員会の集中審議に欠席するのも大人げないやり方だと思うが、野党の連中はそれ以上に大人げないだろう。
内容的に見て、川口順子議員が欠席して申し訳なかったと謝れば済むことだろう思うのだが、どうしても野党の連中は辞めさせたいらしい。
特に民主党は参議院選挙もあるせいか、安倍政権に何かケチをつけたくて仕方がないようである。(尻の穴の小さを見せるだけで逆効果と思うのだが)
野党の中には、もう少しまともな人間もいると思っていたのだが、国会議員と言うのは、どいつもこいつも同じような人間ばかりらしい。
国会議員が、こんなくだらない事ばかりやっているから、日本は衰退の一途をたどっているのではないか。
私に限らず、多くの日本国民はあきれかえっているのではないだろうか。

東京電力が放射能汚染水対策として、敷地内でくみ上げた地下水を海に放出する方針を固めた。と言っているらしい。
何でも、「汚染前の水で安全性に問題はない」との事だが、そんなに安全な水をなぜ今まで保管しておいたのと言いたくなる。
私のように社会経験が多い人間は疑り深くなって、どうせ東京電力は安全な水と称している水の中に、かなり危険な汚染水を紛れ込ませるつもりだろうと思っている。
そのぐらいの事は平気でやる会社である。
本当に海に流しても安全な水なのか、流し始めてから第三者が安全性を24時間監視するべきなのだが、日本政府も日本国民も無関心だろう。(政府の場合は飼い犬議員がいるから見て見ぬ振り だろうが)
東京電力の幹部には、安全確認の代表者として毎日福島県の原子力発電所沖で取れた漁獲類を食べていただきたいと思っている。(例のやらせが得意そうな千葉県知事が身代わりになっても良い)
毒と違って、危険な場合でも直ぐに症状が現れないのが残念だが。
冗談を言っている場合ではないのだが。

2013年5月1日(水)
東京都の猪瀬直樹知事が、2020年の五輪招致に関してのトルコ・イスタンブールをめぐる発言が国際的に問題になっている。
猪瀬知事本人も、報道内容が雑談の内容かどうかは兎も角、事実無根の話ではないような記者会見をしている。
東京招致委員会の竹田恒和理事長に至っては、国際オリンピック委員会(IOC)の問い合わせに対し、ルール順守を誓約する文書(誓約書)を返送したと言うから、まだまだ日本人には謝ればなんでも許されるだろうとする古い体質があると感じる。
東京電力の時もそうだったが、記者会見の席で企業の幹部は深々と頭を下げていた光景をついつい思い浮かべてしまった。
早大スポーツ科学学術院の原田宗彦とか言う教授は「ニューヨーク・タイムズに全面謝罪広告を載せてはどうか」と提案しているそうだから、年寄(としより=老人)とか見識者と呼ばれる人の考え方は非常に狭いと私は感じている。

薄識者の筆頭とも言える私の考え方を言わせて貰おう。
ニューヨーク・タイムズに全面謝罪広告など載せても、事態は全く好転しないばかりか、全面的に自分の非を認めた結果、全世界から非難の的にされるだけだろう。
竹田恒和とか言う理事長が誓約書を書いてIOCに送付した事も、この意味に於いて感心しない。
当たり前の事だと思うのだが、謝る前にまず発言時の経過を詳しく世界に説明するべきだろう。
その時の発言内容が残っているのなら、全文を掲載すれば良いだけだし、残っていないなら猪瀬知事の自分の記憶を頼りに記載しても良いだろう。
発言が不適切であったかどうかは自分から言うべきではなくて、相手に判断させると言うのが国際的なやり方だろうと思う。
よく引き合いに出されるのが、外国人と交通事故を起こした場合に、いきなり謝ると自ら全面的に自分の非を認めた事になると言うのがあるが、これと同様である。
日本人は、事を大きくしたくないだとか、謝れば済む(許して貰える)だろうの感覚で低姿勢を好むが、この考え方は国際的には全く通用しない。
韓国での従軍慰安婦の問題も、日本人の低姿勢外交(碌に調べもせずに取りあえず謝る外交)の失敗に起因したと見る人は多い。

今回も、いつものように低レベルなマスコミが、猪瀬知事の所へ押しかけて、どうしてくれるんだの口調で取材をしているようだが、騒ぎ過ぎると思う。
仮に日本でのオリンピック開催に失敗したとしても、日本国民はそれほど失望はしないだろう。
何としても日本で開催して欲しいと考えている日本人は、多めに見ても半数ぐらいではないかと思っているのだが、この予想は間違っているだろうか。
私などは、国民の意気が消沈している時ではなく、経済的に建て直しができて先が見えるようになった時の方が、オリンピックを開催するのは適切ではないかと思っているぐらいである。
オリンピックの開催はまだ先の話であるし、オリンピック開催が国民の意気を高めると言う説もあるので、今行われている開催誘致に反対はしない。
ただ、昔に開催された東京オリンピックの時のような国民全体の意識の高まりと感動は、もう得られないように思う。
東京でのオリンピック開催は、石原前東京都知事の悲願のようであるから、彼が生きている間に開催できれば良いのだがとは思っている。

2013年4月26日(金)
日本では死刑囚の死刑執行が行われると ニュース として取り上げられる。
まともな法治国家であれば、法に従って社会は動かなければならないのは当然の事なのだが、民主党の時の法務大臣のように死刑反対論者が大臣などをやるものだから、任期中に死刑が執行される事はない。
法務大臣なら誰だって、自分がハンコを押した結果、死刑が執行されるのを気分良く思う人はいないだろう。
自民党の大臣でも、できる事なら死刑制度がなくても暮らせる世の中であって欲しいと思っているだろうが、現実の社会では無念の思いで殺害され、その家族からも何度も殺してやりたいほど憎まれている死刑囚は数多くいる。
そんな感情を無視して、人間が人間を裁く事はできないはずだとか、人間には人を殺す権利は無いだとか言う理想主義者が多い。
確か朝日新聞にも強硬な死刑反対論者がいて、死刑制度や死刑の執行にとやかく言う論説委員が多いと私は記憶している。
今回、NHKは淡々と報道しているだけのように見えるのだが、安倍政権で死刑が執行されたのは、ことし2月以来、2回目です。とさりげなく記載している辺りにNHKの本質が見え隠れしているようである。 (明らかに民主党の政権時代と比較して、多いと言う印象を読者に与えているし、極端な見方をすればそんな安倍政権を批判している内容になる)
巨大なマスコミのNHKの中にも死刑反対論者が存在しているのだろうと思うのは私だけだろうか。
死刑が執行されたからと言って、巨大新聞やNHKなどのマスコミが大きくニュースで取り上げる必要などない。
もし、NHKの総意として死刑制度に反対したいのであれば、堂々とその根拠を挙げ、国民の賛同を得られるように努力すれば良いだけではないか。

2013年4月22日(月)
将棋を満足に知らない人が将棋の話を書くどんな内容になるのかの記事があった。
棋士側に意味を感じないコンピューターとの対局 である。
つまらない内容なので簡単に書くが、この記事を書いた人は以下のような結論をしている。

コンピューター将棋が強いのはよくわかったが、この対局が棋士側にとって何の意味があったのか。
負けによってプロとしての存在意義が薄れたといわれても仕方ない。
好対照の棋風でファンを沸かせた大山康晴vs升田幸三のように、人間力や個性のぶつかり合いで将棋の面白さを広めることに専念すべきではないか。


この記事を書いた今村忠と言う人は、記載内容から拝見して将棋は素人のようだが、素人は素人らしく下手な論評などしない方が良いのではないだろうか。
大山康晴や升田幸三などと、何十年も前の記憶を引っ張り出して記事を書いていて恥ずかしいとは感じないのだろうか。(彼らの偉大さには同感するが)
特に、負けによってプロとしての存在意義が薄れたは、完全に誤った解釈である。
1秒間に2億5千万手の読みがあるからコンピューター将棋はプロよりも強いのは当たり前だのような書き方をしているが、これも完全に理解を誤っているだろう。
どんなにスーパーコンピューターを持ち出しても1秒間に2億5千万手は読めないのはコンピュータを知っている人なら考えるまでもない事だし、2億5千万手と言うのは恐らく、それだけの棋譜の蓄積があるので、過去に差した手は瞬時に検索できると言うだけだろう。(ただ、似たような場面を検索できたからと言って、コンピューターが勝てると言うものではない)
仮に、既に結果を導きだしている棋譜なら、プロでも勝てないと言うだけの話である。(将棋は変化が膨大なので、ほとんどの対局は未知の世界になる)
私が改めて言うまでもないが、コンピューター将棋が強いのは膨大な過去の棋譜の蓄積があるからであって、コンピューター自体には創造力は無いと考えるべきである。
だから、コンピューター将棋が強い部分は序盤の定石部分と終盤の詰めの部分だけであって、創造力が要求される中盤は圧倒的に人間が勝っている。(これも常識中の常識だが)
しかも、膨大な棋譜は過去何十年にも亘って棋士が蓄積したもので、それは人間の創造物である。
人間が創造したものに人間が負けてもプロとしての存在意義が薄れた事には全くならない。
なぜなら、指している相手は機械では無く、物覚えが良い人間だと考えられるからである。

今村忠とか言う人は最後に、「コンピューターには他に人間を超えてほしいものが沢山ある。たとえば「くるぞ、くるぞ」といわれる大地震はいつどこにくるのか。予知となると人間は無力だ。1秒間に2億5千万手の読みこそ、そうした人の命に関わることに生かしてもらいたい。」とか、訳の分からない事(科学の素人丸出しの内容)を書いているが、この人は科学的な記事を書くには能力が不足しているようである。
私は将棋は初段の免状を持っているが、この程度のレベルではコンピューター将棋にこてんぱんに負かされてしまう場合が圧倒的に多い。(待ったをして手を戻すと勝てる場合もある)
でも、この人のように棋士側にとって何の意味があったのか。などとは決して思わない。
私の場合は、周りの人と将棋を指しても負ける事が無かったので、慢心していた自分を反省させられた。
プロ棋士が今回たまたま負けてしまったのなら、次には勝てるように努力すれば良いだけの話である。
プロ棋士に努力が足りないと感じさせただけでも、コンピューター将棋との対局は十分意義がある事を、この男は理解できないようである。
将棋の世界でも、まだまだコンピューターなどよりは人間の能力の方が遥かに高い事は、コンピュータを知っている人なら常識である。
「コンピューター将棋がプロ棋士に勝ったからコンピューターで地震予知をさせろ」だと。
あんたみたいな人間(コンピュータ音痴の人)が、コンピューターを扱う限り、それは永久に無理でしょう。

2013年4月21日(日)
広島市中区で19日開幕した「第26回全国菓子大博覧会・広島」で実行委が電動車椅子の利用者の入場を拒否していることが判明したとの事で、毎日新聞がとんでもないことだ的な論調で 報道 しているようである。
電動車椅子ではなくて手動での車椅子の入場は認めているのだから、特に障害者への差別ではないと思うのだが、抗議を受けた実行委が慌てて平日は許可したと言うのだから、実行委も根拠もなく禁止したのだろうと言う事が見え見えである。
この報道から推察すると2つの問題点がある。
まず、実行委が電動車椅子の利用者の入場を拒否したのは、どういう根拠があったのかと言う点である。
過去に同様な博覧会で電動車椅子による事故が発生したことがあると言うのであれば、堂々と禁止にした理由を説明すれば良いし、それが出来なくて慌てて許可しているようでは実行委と言うのは思いつきだけで物事をやっている低レベルな集団だったと言うことになる。
そうであれば、そんな低レベルな広島県の経営革新課とやらの連中の馬鹿面を見たいものである。

もう1つの問題点は障害者側にある。
電動車椅子の入場が認められないからと言って、やたら差別だと騒ぎ立てるのはいかがなものだろうか。
日本社会は障害者が障害者故の差別を受ける事がないように様々な配慮をしていると思うのだが、それを良いことに何でもかんでも健常者と同じように振る舞えると考えるのは、はっきり言って障害者の横暴である。
特に電動車椅子などの高性能な機器は、健常者が歩くよりも遥かに高速に移動できる。
ハンデのある障害者には当然の権利だと考える前に、まず障害者は健常者と同様に振る舞える事に感謝しなければならない立場ではないだろうか。
今回も電動車椅子は周りの人に危険だから、普通の車椅子にしてくださいと言われたなら、それに従えば良いだけの話ではないか。
それを、普通の車椅子では押してくれる人が居ないから無理だなどと言うのでは、障害者のおごりと言うものだろう。
私は、押してくれる人も居ないような人は、人格的に問題(トラブルの元)がありそうだから、会場に来るなとさえ言いたいぐらいである。

私は障害者は社会の片隅でひっそりと暮しなさいと言っているのではない。
多くの身体障害者は、健常な人と同様の楽しみを味わっていただきたいと思っている。
社会も又そのような場をできるだけ多く提供すべきであると思っている。
ただ、私が言いたいのは、それは決して障害者にとって当然の権利などではなくて、社会の好意によるものである事を障害者に理解して欲しいのである。
はっきり言うと、障害者は社会に感謝の心を持って欲しいと言う事である。(口に出さなくても、心の中だけでも良い)
最近の障害者の言いたい放題の事を聞いていると、そんな心は微塵も持っていないのだろう。

毎日新聞にも言いたい。
低レベルなマスコミが日本社会を駄目にしている一因であると。
やたら煽りたてる報道ばかりして、社会を混乱させているだけではないか。
たまにで良いから、人を諭すような記事は書けないのか。

2013年4月20日(土)
日本国憲法の改憲を促進しようと言う動きが活発になってきたように思う。
当然の成り行きだろうと思う。
今も護憲一筋なのは、福島おばさんの率いる社民党と、なんにでも反対したがる共産党ぐらいなものだろう。
公明党も中身は護憲のようだが、自民党と組んでいるからお茶を濁した発言をしている。(この党の場合は政治理念よりも人気取りのためと思うが)
日本国憲法の平和主義は人類の理想を掲げているのは確かであるし、そうありたいと日本人の大多数の人が願っているは間違いがない。
少なくとも日本が北朝鮮のように核開発をして原子爆弾を持つべきであると考えている人は極々少数の人達だけだろう。
理想を掲げるのは良い。
ただ、憲法で謳っている兵力は持たないと言うのであれば自衛隊は何なのだという事になるし、それに所属している人達の立場もおかしいものになる。
社民党が衰退したのも、丸腰であればどこの国からも攻撃は受けないし威嚇もされないと言う理論だったが、北朝鮮が核爆弾を開発しミサイルがいつ飛んできてもおかしくは無い状況を見れば、とんでもない誤った考え方だだったと言うのが証明されたからだろう。
今の日本に緊急に必要とするのは、北朝鮮がミサイルの発射準備をしているのかどうかだとか、原子爆弾の開発状態がどうだとかの監視体制を整備する事だろう。(アメリカや韓国におんぶに抱っこで何とかなっているようだが)
ただ、それで確認できて北朝鮮を非難した所で止める国でもないから、故意にでも偶発でも日本にミサイルが飛来してくる場合も想定していなければならなくなってしまった。

そうなるとアメリカのような24時間の迎撃態勢も構築しなければならないだろうし、日本の国民が安全に避難できる場所も確保して韓国のように常時非難訓練もやっておくべきだろう。
今の日本の防衛体制の現状は、最低限必要な状態から2段階程度は確実に遅れている。
その原因に日本国憲法の存在があるのを否定できる人はいないだろうと思う。
日本が中国や北朝鮮を真似て核開発や原子力空母などの軍事力の保持を目指す必要はないと思うが、他国に威圧された状態のままでいるのはおかしいし、解消させるべきである。
なぜなら、誰かが言っていたように、日常的に他国と交渉する場合でも、政治交渉には裏打ちが必要だからである。
裏打ちとは北朝鮮が相手の場合で言えば、ミサイルが飛んできても撃ち落とせるだけの迎撃体制と国民が安全に避難できる場所が確保されている事である。
戦争反対とだけ唱えていれば国家は安全であると言う社民党や共産党的な思考は、とっくの昔に崩壊しているのである。
社民党や共産党の衰退を見ると、ようやく日本人にもそれが分かってきたと言う事だろうと思う。(実は、私もその中の一人なのだが)
昔は改憲論などを唱えると袋叩きにされる雰囲気すらあった。

2013年4月18日(木)
今年3月の福島地裁郡山支部の裁判員裁判で、裁判員を務めた福島県の60代女性が遺体のカラー画像などが原因で不眠症や食欲不振に陥り、「急性ストレス障害(ASD)」と診断されたことが分かった。との 報道 があった。
私も何度も言っているが、裁判員裁判制度と言うのは日本人の得意とする典型的なアメリカの真似である。
この制度を考え出した人は誰なのか知らないが、一度知能検査を受けて、まともな思考が出来る人間かどうか調べた方が良いと私は思っている。
考え出した人も問題だが、そんな考えをひょいひょい取り入れた政府の人間(官僚?)も、相当な低レベルな人ではなかったかと思っているのだが、今の日本ではこんな発言をする人間こそ最低レベルの思考能力しかない人間と判定されてしまう。(私の事だが)
根本には、日本の裁判官が余りにも低レベルなので何とかしたいと言う思惑があったのだろうが、その判断は正しかったとしても対応方法が間違っている。

しかも、現在の裁判員裁判制度もかなりおかしいようで、あらかじめ過去の判例を裁判員に資料として手渡していたり、残酷な映像や写真は裁判員には見せないようにしたりしているので、うわべだけアメリカの真似をした茶番の裁判制度であると言っても、当たらずとも遠からずだろう。
日本では一度やり始めた事は失敗したと分かっても、簡単には止める事が出来ない国だから、後(あと)数年はこんな馬鹿馬鹿しい制度が続くのだろう。(根本的な問題を抱えていて、見直し程度で済む話ではない)
日本の裁判官のレベルが低いのは確かだろうが、これを変えるには司法試験の制度などに遡(さかのぼ)って見直す必要があるだろうから、とても一朝一夕には解決できない問題だろうと思う。
今の裁判なら、過去の判例を詰め込んだコンピュータを裁判長席に用意して、過去の判例を元に判決を下した方が遥かに効率的だろう。
判決結果が素人でも分る裁判(小沢一郎などの裁判が典型的)に何か月も掛けているのを見ると、日本の司法レベルの低さを痛感してしまう。(同様に思っている人は私だけでは無いと思うが)
こんな国は日本ぐらいなものではないだろうか。
単なる昔話に過ぎないかも知れないが、江戸時代の大岡裁判のように、もう少し血の通った裁判ができないものだろうか。

2013年4月12日(金)
日本の官僚の物の考え方を如実に表しているのが 皇太子ご夫妻に宮内庁長官が苦言 オランダ国王即位式めぐり の報道だろう。
オランダ国王の即位式に皇太子夫妻が出席するのかどうかの可否を早く決めて欲しい(相手国(オランダ)の準備もあるだろうから)との要望を11日の定例会見で言ったそうだが、言った内容も言うべき場所も全く間違えている。
この程度の事も判断できない宮内庁の風岡典之長官と言うのは、相当の低レベルな官僚(官僚出身者)だろうと考えるのは私だけではないだろうと思う。
記者会見の報道内容から推察すると、まず宮内庁ではオランダ国王の即位式に皇太子夫妻が出席するのは無理だろうと思っているのだろう。(雅子さまの病状から考えて)
それを皇太子夫妻が不参加の決断をしないものだから、記者会見と言う場所もわきまえないで発言しているのだろうと思う。
こんな重要な案件を皇太子夫妻が勝手に決められるほど、今の皇室には権限が無いことは誰の目で見ても明らかにである。
以前に皇太子殿下が雅子様への宮内庁の対応の仕方が我慢できず、報道陣の前で苦言を言ったために宮内庁長官が罷免された事があったのを覚えている人も多いだろう。
余程の事がなければ皇太子夫妻は宮内庁の進言に沿わない事はしないのが常識であるし、実際にも宮内庁から言われる通りに行動しているのは見てとれる。

今回は、その余程の事が起きているのだろうと思う。
つまり、オランダ国王の即位式に宮内庁長官は出席しないように進言しているのに皇太子夫妻が反対しているか、その逆だろう。
これも常識的には前者であると考えて良いだろうと思う。
宮内庁では、雅子様の病状から出席は無理だと考えて出席を断るように進言しているのに対して、皇太子夫妻は出席を要望していると見るのが自然な考え方である。
ひょっとしたら、宮内庁では雅子様が妙な行動をしたり、不本意な発言(皇室の現状に対して)をするのではないかと恐れているのだろうと思う。
少しでも危ない事はしないし、させないのが官僚独特の物の考え方である。
余計な事だが、こんな官僚ばかり多いから日本もここまで落ちぶれてしまったのだろうと私は考えている。

風岡典之とか言う宮内庁の長官に言いたい。
多少無理かと思うような事でも皇太子夫妻の意に沿った行動をさせて貰いたいものである。(それが日本国民の総意であると私は信じている)
そのためには医師団が通常の倍必要になっても構わないだろう。
もし、万一途中で雅子様の具合が悪くなってしまった場合も想定して、その備えも必要かも知れない。
あるいは雅子様が公の席で醜態を晒すような事態になるかも知れない。
仮にそのような事になったとしても、それはそれで良いではないか。(出席する事で礼は十分に尽くせたと思うし、雅子様が精神病を患っている事を世界に隠す(隠蔽する)必要はない)
ただ単に、臭いものには蓋をすれば安全だと考える官僚共の物の考え方には反吐(へど)が出そうである。
もし、風岡典之とか言う宮内庁の長官に多少なりとも常識があったなら、こんな内容を記者会見の席では言わないだろうし、とっくの昔に解決できていただろう。
私から言わせれば、記者会見の席で自らの無能振りを晒(さら)しただけのように思える。(この行動は、自分の身の安泰しか考えない官僚の体質を良く表している)
【注記】
風岡 典之(かざおか のりゆき、1946年9月15日[1] - )は、日本の官僚。宮内庁長官。元国土交通事務次官。新潟県出身。

2013年4月11日(木)
北朝鮮がミサイルを発射するらしいので、北朝鮮が「標的の地」と名指しした各自治体では担当者が、市民に対して文書を配布しているようである。
横須賀市では、「私たちができることは、爆風や破片を直接受けないように建物の中に入ることです」
こんな内容の文書を配布するのなら、「(ミサイルが当地に着弾した場合には)私たちには対処する術がありません。」とでも書くべきだろう。
着弾するのがどんなミサイルかは知らないが、核ミサイルなら地下深くにでも退避しないと、ひとたまりもないのは明白である。(これなら一時的には助かるが)
三沢市の防災担当者は、「ヒドラジンの危険性は承知しているので、消防と連携し、住民の避難や立ち入り禁止地域の設定を想定している」と言っているらしいが、想定するだけなら猿にでもできるだろう。
要は想定はするが、それ以上の事はしないと言う事だろう。 (多少でもやる気があるのなら、避難訓練ぐらいは、とっくの昔に行っているだろう)
沖縄県の担当者は、「あまり過敏になって県民に動揺を与えないよう考慮しなければならない」と言っているらしいが、そんな事を言うぐらいなら、素直に対策は無いと言って欲しいものである。
これでは、対策があるのに県民に不安を与えるから、わざと言わないでいるように聞こえる。
座間市の担当者は、「ミサイルが着弾した場合の被害想定もなく、どこが安全か検証もできていない。市民12万9千人をどう避難誘導すればいいのか」と言っているようだは、これが成す術がない自治体の現状の姿なのである。

今の日本では核攻撃(化学兵器も同様だが)を受ける事態はいっさい想定していないから、実際ににミサイル攻撃を受けたら都市は壊滅するのは確実である。
各自治体の担当者がどうこうしようと考えるレベルの話ではなくて、防衛体制は国家レベルで考える話になる。(本来、新聞社が自治体の担当者に聞くのもおかしいし、自治体がそれに回答するのもおかしいのだが)
日本の国民は、過去60年間が平和だったから、これからも平和は続くと大部分の人が考えているが、あの大地震のように過去数百年地震がなかったから、今後も安全だろうと考えて大失敗した教訓を忘れないで欲しいものである。
勿論、日本もスイスなどのような核シェルターを作る必要があるのかどうかは疑問であるが、せめて核弾頭を積んだミサイルが発射された場合にどうするのかぐらいは、政府が考えておくべきだろう。
(私は個人的には専用の核シェルターよりも、数か所の地下街を核攻撃に耐えられる構造で作るぐらいが良いのではないかと思っているのだが)

今のように、北朝鮮に対して遺憾の意を表明するぐらいで、何も打つ手が無いのでは馬鹿にされるだけである。
北朝鮮でもやたら核ミサイルなどを日本に打ち込んだりはしないだろうが、安全装置の不十分な国家では偶発とか暴発でミサイルが発射される恐れは多分にある。
そろそろ日本も平和ボケから脱皮すべき時期に来ていると感じるのは、私だけではあるまい。
北朝鮮だけでなく、中国とも尖閣諸島での紛争で本気で日本が対応すれば(これは自然の行為だろうが)死傷者が出るのは時間の問題だろう。
平和な時代が長くは続かないのは歴史が証明している。

海上自衛隊トップの河野克俊・幕僚長は9日の記者会見で、「緊張感を持続させて対応しなくてはならない」と語ったそうだが、それを言うなら「自衛隊は常に緊張感を持って対応している」ぐらい嘘でもいいから言って欲しいものである。
自衛隊も所詮は平和ボケ集団なのだろう。

2013年4月9日(火)
私は自民党は嫌いだが、安倍晋三首相だけは嫌いになれない。
なぜなのかと考えてみたのだが、 首相、NHKにチクリ?「親日的な国は報道しない」 のような事を言える人間だからではないかと考えている。
天下のNHKに噛みつける政治家などは皆無だろうし、この程度の皮肉を言える政治家も数少ないだろう。
最近は、私にもNHKの本当の姿が見え始めているし、これからはどんどんNHKを批判する人は増えてくるに違いない。
それほどまでに、NHKには特定の体質が存在しているという事である。(国民を特定の方向に導きたがるというべきか)
しかし、NHKも国民には朝ドラや大河ドラマで機嫌をとっておれば安泰だった時代は終わりに近づいている事を知るべきだろう。
日本国民は、NHKが考えているほど馬鹿(お人好し)ばかりではない。
それにしても、安倍首相が皮肉るようでは、今のNHKを動かしているのは一体誰なのだろうか。 (恐らく特定の官僚だと思うが)

2013年4月7日(日)
福島第一原発では地下に設置した貯水槽から120トン余りが外に漏れ出ているのが確認されて、それを外に移し替えるために47トンが流出する可能性があるとか東京電力では言っているらしい。
以前にも書いたが、東京電力では口に出してこそ言わないが、汚染水を貯蔵する場所がないので汚染水が漏れてくれるのは大変ありがたいと思うに決まっているではないか。
移動の名目で4分の1がどこに漏れるのかは知らないが(最終的には海に流れ込むのだろうが)、貯蔵する必要が無くなるのだから願ったりかなったりだろう。
日本国民も放射能漏れには慣れきっていて、100トン漏れようが1000トン漏れようが感心を示さなくなっている。
どこかで放射能漏れによる影響でも出れば大騒ぎするのだろうが、そんな時はもう打つ手が無くなっているだろう。
お目出度いと言うか、無知と言うか、呑気な国民と言うか、あきれてしまいそうになるのは私だけではあるまい。
何度も書いているが、東京電力は原子力発電所が爆発して放射能漏れが起こった時点から、それに対応出来る能力などは失っている(無い)のである。
技術的にも金銭的にも道徳的にも、社会観念的にも全てが無能状態に近い集団だろうと思われる。
福島周辺だけが放射能汚染されるだけだと多くの人は考えているようだが、そんなに生易しく甘っちょろいものでは無いだろうと思う。
それでも(それを知ってか知らずか)、そんな集団に任せっきりにしようとしている日本政府(国民)は、それ相応の報いを受ける事になるのではないだろうか。
自業自得と言えばそれまでなのだが。
【注記】
日本では東京電力を批判すると政治家は政治生命を奪われ兼ねないし、マスコミは国民の意識を高める機関としては余りにもレベルが低いし、国民自体も非国民扱いをされる恐れがあるので誰も何も言わないが、電力会社が原子力を扱うのは技術的にも、資金的にも無理なのは明白になっているだろう。
東京電力の場合は汚染水を扱うのでさえアップアップしている状態である。
やはり、当初誰かが言っていたように原子力発電所の爆発直後に東京電力は国家統制下におくべきだったのだろう。
それなら、原子力発電所に巨大な汚染水貯蔵所を作る事もできたし、海洋に汚染水が流れ込ませないための壁(フェンス)も作る事ができただろう。
今更いくら反省しても無駄ではあるが、せめて東京電力の力を弱めるために、廃案になった?送電事業と電力事業を分けて大三者が独占的な東京電力の管轄に入り易くする必要はあるだろう。
そうするためには、東京電力の飼い犬議員連中を排除する事と、NHKなどのマスコミがその必要性を国民に訴えるべきだろうと思う。(マスコミはおかしい事はおかしいと言う義務があるだろうと思っているのだが)
残念ながら、どちらも今の日本では無理のようだが、まずは国民の意識が高まらない事には何も進展はしない。
電力の供給形態変わったり(例えば電力が地域ごとに供給できるようになったり、自家発電で賄えるようになったり)、原子力に代わるエネルギーの供給が軌道に乗るようになれば電力会社は自然消滅するだろうが、この程度のことでも今の日本では遅々として進まない。
放射能汚染水を垂れ流していても(今回が意図的であるのかどうかは別にして)、誰も何も感じないのでは、日本人には何かが不足しているのだろう。(この程度の内容(東京電力は隠蔽体質が強いので汚染状況を過小発表している恐れもあるが)をどうこう言っても意識過剰な人として葬りさられてしまう)
やはり心底から飼い慣らされてしまった国民(自分の意見を堂々と言えず人真似ばかりする国民)になってしまったのだろうか。

2013年3月20日(水)
東日本大震災の時にアメリカ軍のトモダチ作戦(Operation Tomodachi )に参加して、放射能漏れが起こっていて人体に危険な状態であったにも関わらず、安全だとの東京電力や日本政府の説明を受けたために体に異常を来たしたとの事で、従軍した米兵の原告が当初の8人から26人となり、保障請求金額の総額が20億ドル(約1850億円)に達した。との 報道 があった。
今後、更に原告の数が増え、支払い請求金額要求も増えると考えて良いだろう。
当の東京電力には支払い能力などはないから、「米国の法手続きに従って適切に対処したい」と述べていると言う。
「適切に対処したい」とは要するに、アメリカに言われた金額を日本政府がそのまま(特に原告を一人一人確認する事なく)払う事を了解しましたと言う事だろう。
日本政府もアメリカの言う事には反発できないから、何も言えずに支払う事になるだろうと思う。
どうせ税金なのだから、多少の予定外の支出などは屁とも思っていないのは容易に想像できる。

トモダチ作戦などと聞こえは良くても、単なる有償の災害復興の応援部隊に過ぎなかったと言うことだろうと思う。
当時の民主党による無能な政府に代わって迅速で的確な行動は災害復興の迅速化には貢献したと思うが、随分と高くついたのは否めないだろう。
ところで、放射能漏れの状態を過少発表していた東京電力が、今ものうのうとして生きながらえているのも、東京電力の息の掛かった国会議員が数多く居るためだろうと思う。
つい最近では、東京電力の独占化を緩和させるために、送電事業と発電事業を分ける方向で進んでいたのが、それすらもどうやら骨抜きになったようである。
言わば植物人間状態(形だけで中身の無い)の東京電力に人工心臓やら人工の肺を与えて、無理やり生きながらせているのが今の政府や日本国民だろうと思う。
原子力発電所がこんなに危険なものであったのを知っていたなら(十分告知されていたなら)、とっくの昔に国家事業化していたに違いない。(あるいは存在しなかったかも知れない)
今更悔やんでも仕方が無い事だが。
済んでしまった事は仕方がないとしても、果たして日本国民は同じ過ち(危険な原子力発電所の維持を民間企業に任せっきりにする)を何度繰り返せば、反省する事ができるようになるのだろうか。
原子力発電所の維持で思い出したが、前の野田何とかと言う首相は原子力発電所をテロ攻撃から守るために、高速巡視艇を原子力発電所の領海周辺で活動させるとか韓国で講演した事があった。
こんな7,80年前の手法を今もってやろうとするのは日本ぐらいなものだろう。(余りにも対処方法が非効率かつ稚拙なので、実際には行っていないと思うが)

2013年3月17日(日)
日本には自称「皆様のNHK」と言う放送局があります。
目障りなコマーシャルがなく、大変見易い番組構成で配信してる放送局ですから、大多数の日本国民はこの放送局の番組を見ております。
たまたま、YOUTUBEに掲載されていたNHKの国会中継の質疑内容を見ようとしたら、こんな画面になりました。

国会中継1


記載されている通り、確かに国会中継の映像にも著作権は存在しているのでしょうが、そんな理由(公共性の高い映像を著作権の侵害で削除させる)で削除したのでは無いのは容易に想像ができます。
これが、「皆様のNHK」と自称している放送局の本当の姿のようです。(はっきりした理由は不明ですが、NHKは特定の内容の表現を削除したがります)
しかも、この国会での質疑を行った中山成彬と言う議員は以下のツイートをしているそうです。
私が狙われていると検察関係から警報あり。
もとより命も要らずの南州翁の生き方を実践しているが、一部のマスコミが捏造してでも私を叩くらしい。
よっぽど私の歴史認識の提起が困るらしい。
私に何かあったらそういうことです。

日本ではアメリカのような政敵や自分に不都合な人間を銃撃するような例は少ないですが、巧妙に薬物で毒殺(病死や心臓麻痺)するような事は行われている可能性があります。(ロシアなどでは多いと思われます)
決して何にでも自由振る舞えて、平和に満ち溢れている国家ではなさそうです。(どこの国でも程度の差はあっても同様だろうと思いますが)
上記の国会中継の全内容は中山議員が再度アップロードしたようです。
天下のNHK(マスコミのトップで日本人の考え方に多大な影響を与える)が、再度削除要請を行うのか注目されます。
【注記】
当サイトはNHKの体質を伝える事が目的であって、日本維新の会の教宣活動を行うサイトではございませんので、質疑内容についてはコメントを致しません。

2013年3月6日(水)
東電 処理後汚染水を海に放出計画と言う 報道 があった。
東電も本当はこっそりと放射能汚染水の廃棄をしたいのだろうが、全く一目につかないで大量の放射能汚染水を廃棄することができず、止む無くマスコミにも公表するのだろうと推察している。
(【注記】発生直後の11年4月2日、2号機の高濃度の放射性汚染水が海に漏れた。その直後には地元に事前の相談もなく、意図的に低濃度汚染水を海に放出した。)
私が原子力発電所の建設や稼働に反対しているのは、このように一旦事故を起こすと取り返しのつかない事態に発展するからである。
取り返しのつかない事態とは、大量に放出した放射能汚染水が海洋を汚し、放射能が微生物に蓄積し、それを食べた魚に蓄積して最後には人間に蓄積していくからである。
どんなに微量な放射能でも数十年間〜数百年年間の蓄積は動植物の細胞に蓄積し悪影響を与えていく事になるだろう。
当然ながら影響を受けるのは人間も例外ではなく、最初は妊婦などの胎児が影響を受け始め、出産した子供に影響を与え、やがては人間全体にどこかに異常が発生するようになるだろう。
SF映画に出てくる未来社会の人間は奇形児だらけであったが、放射能による影響を受けた人間が大量に出た最初の国が日本だったなどと言う事にはなりたくないものである。
考えたくはないが、福島原子力発電所の爆発による大量の放射能漏れで、早ければ20〜30年後には何らかの影響が動植物で確認できるかも知れない。

政府は海洋放出に賛成などはしないから、処理に困った東電がどう対処するかだが、あの企業の体質から考えると地下に数百〜数千メートルの穴でも掘って、地下水の中に紛れ込ませるのではないだろうか。
そんなに大量の汚染水を流し込める地下の水脈が福島原子力発電所の付近にあるかどうかは知らないが、あればその程度の事はやりそうな企業である。(平気で過去に海に無断投棄した企業である)
放射能を除去する事はできないから、地下水に紛れ込ませる方法なども処理方法として論外なのは言うまでもない。(海洋放出も非常に危険な行為だが、それよりも遥かに危険だろう)
もはや金儲けだけしか考えない企業の言う事など、私を含めて、多くの日本人はまともに受け取る人はいないだろう。
事故を起こしても、政府の安全基準がどうこう(法律的な責任はないもしくは責任は認可した政府にある)とか、言い逃れ(責任逃れ)しか考えない連中達である。(電力会社の飼い犬議員も多いが)

政府は経済的観点からか、あるいは電力業界の圧力からか、原子力発電所の再稼働を容認しているが、福島原子力発電所の放射能の影響もはっきりと見えてない内に(現在でも耐えがたい甚大な被害を受けてはいるが)、原子力発電所の安全神話が崩壊した今では非常に危険な状態での稼働となる。
言わば、白刃の剣の上で日本人は生活している訳で、原子力発電所の周辺に住んでいる人は、いつ災害に見舞われるかも知れないので、遺言書でも書いておく必要があるだろう。(冗談ではなく)
都会に住んでいる人は、原子力発電所が爆発しても直接的な被害は受けないで済むが、あと1,2基の原子力発電所が爆発すれば日本には住む所がなくなるだろう。
金持ちなら海外移住もできるだろうが、私のような貧乏人は放射能の影響から逃れる事はできない。
私の場合は余命から考えて、今後原子力発電所が爆発したとしても、たいした事にはならないだろうと思うが、自分だけ良ければ構わないなどと言う気にはなれない。
現在、日本で生きている大人であるならば、日本の未来も守る義務があるだろうと思うからである。

2013年3月5日(火)
日本人は平和に満ち足りた生活をしていると感じるのは女子高生が鶏を育てて解体して食べる 「命の授業」は残酷か?などと言う 記事 を見た時などである。
内容は、『情熱大陸』と言うTBSの番組を見た感想を松江哲明と言う映画監督が記事にしている。
何でも2月24日放送『情熱大陸』では、福岡県立筑水高等学校の1年生の授業に「命の授業」と言うものがあって、鶏の受精卵を生徒一人ずつが飼育し、成長したそれを自らの手で解体して食べるのだそうである。
これは、命の尊厳を肌で感じる授業としてメディアにも取り上げられ、文部科学大臣奨励賞を受賞したそうであるから、国家でも称賛する素晴らしい授業らしい。
幸か不幸か私は『情熱大陸』と言う番組を見た事はないし、見ようとも思わない。

この授業を考え出したのは、真鍋公士と言う教師だそうである。
過去16年間もこの授業を行ってきたと言う。
この人の言いたい事は、「人間は残酷で、必ず食べなきゃ生きていけない」と言う部分にあると思う。
恐らく、人(自分)が生きていくためには、多くの犠牲が必要なのだと言う事を、この飼育して食べると言う行為を通して生徒に伝えたいのであろう。
生徒に伝えたい内容の重要性に異論はないが、その方法としては必ずしも賛成はできない。
はっきり言うと、なぜこれが命の尊厳を肌で感じる授業で文部科学大臣奨励賞を受賞できるのか、私には到底理解が出来ないのである。

私がこの学校の生徒なら2つある選択の内、迷わず自らの手で解体などをしないで、工場に出荷する道を選ぶだろう。
鶏肉は嫌いではないが、安心しきって腕に抱かれている自分の育てた鶏を食べようと言う気持ちにはなれないだろうと思うからである。
食べ物がこの鶏しかない状況だったらどう選択するかは不明だが、日本の現状は食べ物はどこからでも手に入れる事ができる。
こんな状況の中で、ことさら調理する事にどんな意義があるのか、非常に疑問を感じてしまう。

なぜか鶏の首が飛ぶ映像は映さなかったらしいが、この映画監督はそれを「そして首を切られる鶏を一切、映すことなく、しかしそれを見る生徒たちの表情を捉えることで、制作者が何を伝えたいのが明確になった。」と称賛しているが、私なら人間の残酷さを表すために血のしたたる鶏の首を数分間は放映すべきだったろうと思う。
そうしないと、人間の残酷さなどは見ている人には伝わらないだろう。
この部分をカットしたのは、映画監督が言っているような映像テクニックなどでは無くて、TBSが余りにも残酷なために自主的にカットしただけだろうと思う。

TBSでもNHKのように国民に教育したいらしく、最後には塚本と言う生徒の述べた言葉で締めくくっているらしい。
「この命の学習を通して一つ一つの命の重さはもちろん、隣でずっと声をかけてくれた友達の大切さを改めて知る事ができました」
私はこの生徒のように頭が良くはないから、自分が育てた鶏の首から血がしたたり落ちる光景の夢を見て、うなされるだけだろう。
ひょとしたら、もう鶏肉は食べられなくなってしまうかも知れない。

2013年3月1日(金)
韓国の「小規模商店街再生消費者連盟」とか言う団体が「竹島の日」記念式典に政府代表が出席したことに反発して日本製品の不買運動の開始を宣言した。」との 報道 があった。
韓国にはあれだけの工業製品を作り上げる能力がありながら、阿呆な人間はいるものだとつくづく感じてしまった。
何でも、アサヒビールやユニクロ、ニコン、トヨタなど日本製品の不買運動を開始するのだそうである。
それに先立って、日本企業の名がずらりと書かれた板に生卵をぶつけ気勢を上げたそうだが、これでは思考レベルが中国や北朝鮮と同じである。

報道でもパフォーマンス的な要素が強そうだ。と書いてあったのでジョークのようだが、冗談ならやらない方が良い。
ソウル新聞の社説でも、韓国は日本への貿易依存度が高く、日本国内の反韓感情を高めるだけの愚を犯してはならないと書いているそうである。
これが良識のある物の考え方と言うものだろう。

2013年2月28日(木)
落ちぶれた社民党が社会文化会館で「お別れの会」を開いたとか、どうでも良い 報道 があった。
社会文化会館は老朽化が進み、東日本大震災後の耐震診断で使用不可の判断が出たからだけなのだから、引っ越しが必要なのは当然のことだろうが、村山富市元首相らが出席して所属議員が6人となったことなどに「寂しい。本当に申し訳ない」とか挨拶したそうだが、老人がでしゃばる政治の世界は終わったと言う事だろう。
老人はとかく自己満足したくて回顧録などを出したがるものだが、確かこの人もそんな馬鹿馬鹿しい事をしたのではないか。
自分の能力は他人が評価するもので、自分であれをやったこれをやったとか自慢するものではないだろう。(自慢できるものが仮にあったとしても)

社民党の福島おばさんが、先の衆議院選挙の時に「何が何でも社民党」とか言うしか選挙演説が出来ないのでは衰退しない方がおかしい。
この人は学歴は東大卒のようなので文句のつけようがないのだが、言う事がピント外れの場合が非常に多い。
私は学歴と政治家としての能力は全く無関係であるのを、この人を見て学ぶことができた。
本来なら選挙の責任をとって、とっくの昔に代表の職は辞していなければならないのだが、いまだに居座っている感覚もおかしい。
もう社民党が終わった政党だと認識できないでいるのは、党員ぐらいなものだろう。
どうでも良い話ではあるが。

2013年2月22日(金)
韓国政府が日本に警告 「『竹島の日』強行なら措置を取る」とか言っている 報道 があった。
私は、安倍総理の訪韓を考慮して『竹島の日』の行事の延期は考えても良いのではないかと思っていたのだが、ここまで韓国に言われると大々的に『竹島の日』の行事を行うべきだと思う。
確かに日本は今や韓国に工業製品のレベルでも負けてしまったかも知れない。
韓国の協力無くして日本の再生は無いかも知れない。
しかし、日本が行事を強行し、中央政府関係者が出席する場合、「それに対する政府の措置があるだろう」と警告した。とは、何と日本を見下した発言だろう。
はっきりとは忘れたが、何とかの虫にも5分の魂とかのことわざがあったように思う。
どんなに日本が落ちぶれても、韓国に馬鹿にされる言われは日本にはないし、日本人には日本人の誇りと言うものがある。
「それに対する政府(韓国政府)の措置」とやらを見せて貰おうじゃないですか。

民主党の腰抜け連中ではあるまいし、社民党の福島おばさんではあるまいし、何でも反対の共産党ではあるまいし、やあやあまあまあの公明党ではあるまいし、韓国にそんな事を言われてビビってしまう日本人など極少数だろうと思う。
堂々と日本人の誇りと意気を韓国政府に見せてやろうじゃないですか。
それで駄目になってしまうような日本なら、存在する意義など無いでしょう。

2013年2月6日(水)
ロンドン五輪代表を含む柔道女子の国内トップ選手15人が、日本代表の園田隆二前監督(39)らからの暴力やパワーハラスメントを告発した問題が連日ニュースになっているが、私も内情がこんな状態であった事には驚いたが、その傾向は私も昨年の8月4日のスピークで書いておりました。
昨年の私のSpeakを見ていただければ分かりますが、その内容の一部を再度記載したいと思います。

オリンピックでやたら金メダルの数だけを気にしている人間は誰なのかと見たら、金メダル数を“下方修正” 苦戦の日本、団長が中間総括と言う 報道 があった。
日本選手団の団長が金メダルの数を追及しているのだから、マスコミに金メダル、金メダルと騒ぐなと言っても無理と言うものである。
上村 春樹(うえむら はるき、1951年2月14日 - )は、日本の男性柔道家。熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。1976年のモントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。段位は九段。現在は第5代講道館館長(2009年4月 - )、全日本柔道連盟会長(2009年4月 - )、国際柔道連盟指名理事と、経歴だけは文句のつけようがない。
過去の言動から推察すると、理論派タイプではなくて、例えば柔道に関しては1に練習、2に練習と言うような精神論派ではないだろうか。
今回の柔道の不振に対しての報道を見ると、「苦戦の要因は柔道。金メダル4〜6個の力を持ちながら1個。安全に勝とうと策に溺れた感じもある」と言っているそうだから、非常に現状認識の甘いタイプなのだろう。
報道が本当なら、策に溺れたのではなくて、策を講じる事が出来なかったと言うべきである。
要は、柔道が金メダルを取れなったのは、策がどうのこうのではなくて、単に日本の柔道が弱かったからと言うべきだろう。
私は柔道の専門家ではないので詳しい事は分からないが、仮に柔道のルールが日本人向きではなかったとしても、それを言い訳にするべきではないだろう。
柔道は体の小さい者に対しては、不利な競技であっただけの事である。

当時は、マスコミが金メダルの数ばかり気にして報道していたので、そんなに金メダルに拘(こだわ)る張本人は誰なのかと思っていたら、上村 春樹とか言う日本選手団の団長だったのに驚いたのである。
私が言うまでも無く、柔道を学ぶ意義は人を倒すためや傷つけるために存在しているのではないだろうし、オリンピックで金メダルを取る事を目的としているのでも無いだろう。
日本的な言葉で言えば、柔道を通して人間としての礼節を学ぶことを最大の目的としていた筈である。
マスコミが金メダルと騒ぐのはレベルの低い連中ばかりであるから仕方ないとしても、日本選手団の団長が、しかも講道館の館長たるものが金メダルの数をどうのこうの言うようでは、日本の柔道の精神などはとっくの昔に無くなってしまっているのだろう。
北朝鮮や中国ではあるまいし、日本が国威発揚のために何が何でも金メダルを取る事を目指す必要はない。
選手は自分の技を伸ばすために努力し、オリンピックでは自分の持てる力を最大限に発揮できればそれで十分ではないか。
もし、力が出せなくて悔いが残ったのなら、次のチャンスに賭ければ良いだけの話である。
本来、スポーツとはそんなものであるし、オリンピック精神もそれに近かった筈である。
このような発言をする人間が講道館の館長になり、このような人間が日本選手団の団長に選ばれるのでは、日本のスポーツ界の構造には致命的な欠陥があるのだろうと私は思う。
もし、日本が北朝鮮の真似をしたいのであれば、金メダル1個で100万円とか200万円とかのみみっちい金ではなく、北朝鮮のように選手には一生遊んで暮らせる環境を与えてやるべきだろう。
それなら、確かに金メダルの数はもっと増えるのは間違いない。(金メダルの数を目的とするならばの話であるが)

話を戻すが、暴力行為によって辞任したのは、日本代表の園田隆二前監督(39)であるが、そんな事態にしたのは上村とか言う日本選手団の団長の存在も関係しているだろう。
15人もの国内トップ選手が告発したのであるから、どんなにひどい指導であったのか知りたいものであるが、選手の親が聞いても詳しくは話せないと言っているそうだから、単なる暴力的な指導だけではなかったのだろう。
ひょっとしたら、何らかの病的な異常(変態的)性格を持っていた人間かも知れない。

その人間だけでなく、告発した15人は全日本柔道連盟(全柔連)に対し「私たちの声は封殺された」と指摘しており、「なぜ指導者側に選手の声が届かなかったのか。強化体制や組織体制の問題点が明らかにされないまま、前監督の責任という形で問題解決が図られることは真意ではない」と表明しているのだから日本の柔道界は根本から腐っているのだろう。
女子柔道選手を酒で泥酔させ強姦(準強姦との表現にはなっているが)したオリンピック金メダルの柔道コーチも居たし、少なくとも武道と言うものが人間形成には全く意味を成さないものであったのは、はっきりしたようである。
柔道界だけでなく、教育界においても教師がその地位を利用して生徒に対してセクハラや性的関係を持つ場合が多いのも常識化しているし、警察官幹部が指導と言う形で女子警察官に対して性的行為を行って訴えられたのも最近の事である。
昨日あたりは、自民党の閣僚の国会議員が19歳の女性を泥酔させて強姦(国会議員は合意の上だと言っているが、年齢差を考えれば明らかだろう)して辞職届を出したし、柔道界どころか日本は落ちる所まで落ちた状態になってしまったようである。
【注記】(徳田毅衆院議員(41)は、1000万円で過去に和解しているらしいが、19歳の女性とのセックスがそれほど高価なものだと初めて知った。これでは国会議員に近づく若い女性が後を絶たないだろう。)

生活が豊かになり金と暇を持て余している中年男性には、若い女性とのセックスしか楽しみが無くなってしまうのだろう。
彼らにしてみれば、これは人間の本能だなどと開き直るかも知れないが、国が滅びる時と言うのは、このような状態が蔓延した時であるのは歴史が教えてくれている。
本能なら抑えろとまでは言わないが、こんな連中が女性の指導者になる事だけは無くして貰いたいものである。(社会ではそんなタイプの人間を嫌うから、被害を受けた女性は勇気をもって告発して欲しい)
ただでさえ崩壊が始まっている日本の現状を、これ以上加速させてどうしようと言うのだ。

辞任した園田前監督を擁護する女子強化指定選手がいるとの 報道 もあったが、その言い分は以下のようなもであった。
「ツイッター」に実名で「私は今すぐにでも戻ってきて欲しいです」と書いてあったと言うが、せめてその理由ぐらいは書けと言いたいし、徳野コーチと吉村強化担当理事の引責辞任について、「これ以上先生方やめさせたらもっと混乱するのあたしたち選手だよ」と問題点を理解できない人もいるようである。
女子柔道選手の中には、レベルの低い人(柔道の能力は高くても、人間としての能力の低い人)も居るのだろう。(記載は身内や関係者のやらせである可能性は高いが)

2013年1月22日(火)
アルジェリア南東部イナメナスの外国人人質事件で、日本人7人の死亡が確認されたのは残念でならないが、私は何が何でも人命が第一として行動を要請する日本政府や日本国民の考え方に全面的に賛成する訳ではない。
「人命が第一」と言う言葉の響きはすばらしく、政党で言えば社民党の福島おばさんとか共産党の四位何とかさんとかは、大声を出して主張しそうだが、「校内暴力」絶対反対のように、反対すれば良いものではないだろう。
身近な例で「幼児虐待」と言う言葉があるが、子供に大人が暴力を奮うのは明らかにおかしいと思うが、子供を叱りつける事までも「幼児虐待」と考える親は多いのではないだろうか。
未熟な子供(全ての子供)には親が教育して、初めてまっとうな人間に育てあげられるものである。
それを、子供が悪い事をした時でも叱りもしないのでは、それこそ学校でいじめる側の人間になってしまうだろう。
こんな人間が中学生以上にもなって集団を組むと、学校の先生でも手がつけられなくなってしまう。

最近の日本人は口にしなくなったが、「愛の鞭」と呼ばれる行為は必要な事だろうと思う。
更に言えば、日本では徴兵制度を口にすると非国民扱いにされてしまうが、二十歳にも満たない人間が共同生活をする行為は人間関係を磨く上で必要不可欠なものだと私は考えている。
徴兵制度と言う言葉が嫌であれば、誰かが言っていたように徴農制度で集団で農作業に従事させても良いかも知れない。(私は生死に関わる軍隊の訓練でないと駄目だろうとは思っているのだが)

昔は、企業がその役割をしてくれていた。
所謂(いわゆる)、労働者が金の卵と呼ばれていた時代で、企業は労働者が住む寮を用意していたので、多くの若い労働者は6畳程度の部屋に数人が住み、寮には数十人の若い人が暮らしていたのである。
そこは言わば徴兵制度で集められた人間が集団生活をするようなもので、当然そこには寮長と呼ばれる統率力の優れた人がいたし、寮生も自分勝手には生きていけないものだと言う事を学ぶことができたのである。
悪い遊びを覚えさせられる一面もあったが、それも将来に社会生活を営む上では必要な事だったろう。
それが、時代が進むと共に企業も裕福になり、個室がないと人が集まらない時代になって、寮は崩壊してしまった。
寮制度を復活させろとは言わないが、人間が成長する過程には寝泊りを一緒にする集団生活は絶対に必要だと私は思っている。(先生が生徒を強姦する柔道部のような部活動の話では無い)注:当人の先生は、お互いに同意した上の行為だとか裁判で言っているようだが、先生と生徒の関係で合意も糞もないだろう。こんな人間がオリンピックに出たと言うのだから、日本の柔道も落ちたものである。

話を戻して、私が人質事件で何が何でも人命が第一を主張するのは疑問があると言うのは以下の点からである。
もし、人質事件で何が何でも人命が第一を主張すると、常にテロリストに譲歩した行動を取らなければならないだろう。
例えば、テロリストが人質の解放の条件に拘束されているテロリストの指導者を解放せよと言われれば解放しなければならないし、武器弾薬を用意しろと言われれば用意しなければならない。
あるいは金を用意しろと言われるかも知れない。
こんな事を毎回やっていたのでは、それこそ次から次へと人質事件は増え続けるだろう。
それでも、日本人は人命が第一だと叫び続けなければいけないのだろうか。
そんな馬鹿な事はあるまい。
日本人(政府)は「人命が第一」と言う言葉の美しさに溺れ過ぎているような感じがする。
馬鹿の一つ覚えのような発言ばかりしないで、もっと自分でやり方を考えろと私は言いたい。(平和ボケの政党や国民だから無理なのかもしれないが)

2013年1月13日(日)
板東英二とか言うタレントの個人事務所が名古屋国税局から所得隠しを指摘された問題だが、これ(法律の見解の相違とかではなく歴然とした所得隠し)はどうやら事実であり、しかも板東英二本人が脱税を指揮していたようである。
72歳になるまで所得隠しを行って、何億か何十億か儲かったのかは知らないが、人間で一番大事な 人間的社会的信頼関係 を失ってしまった。
これから先は、死ぬまで脱税をした男(社会に貢献する意思のない人間)として評価され続ける事になるだろう。
収入の元であった芸能界、放送界から永久追放されるのはは当たり前だろう。
今後は、罵声を浴びせられながら(陰口を言われながら)、今まで隠して儲けたお金で贅沢三昧をして暮らせば良いだろう。
しかし、人間はお金がいくらあっても満足出来ない事を、これから身を持って知るに違いない。

社会のゴミ人間共(犯罪集団や犯罪者)は、社会から消滅するのが良いだろう。
嫌々、消滅しなければいけない。
誰もが、もう顔も見たくないと思っているのだから。

2013年1月10日(木)
2011年の福島原子力発電所の爆発報道の姿勢以来、私はマスコミトップのNHKが嫌いになってしまった。
それ以降、NHKの報道を注視するようになったが、今までは気にも止めなかった何でもない報道も気になるようなってしまった。
例えば、今日の NHKの報道 によると、兵庫県の西宮神社で“福男選び”の行事が行われたとの何でもない報道が記載されている。
江戸時代から行われている毎年恒例の行事で、神社の門から本殿までのおよそ230メートルを108人が一斉に走って、トップになった人を「福男」とするたわいもない行事が行われて、誰がトップになったとかの報道である。
今までなら気にも止めないで読み過ごす内容なのであるが、一端NHKに偏見を持ってしまうと読み過ごせなくなくなってしまう。

特定の宗教の内容を報道したとかについて、どうこう言おうなどと考えている訳ではない。
そんな事は、それこそどうでも良い。
私が気になったのは、そのどうでも良い内容をわざわざ報道する姿勢についてである。
どこかの神社が新年に走り比べを行って、その勝者を「福男」呼ばわりするのなど、どうでも良い事である。
実際に見た事はないが、だいたい108人も門の前に集まって一斉に走ったところでまともな競走にはなるまい。
下手すると誰かが転んで事故になるとか、心臓発作で倒れる人が出るかも知れない。

事故が起きて死人でも出れば大騒ぎになるだろうが、そんな恐れがあるから止めろと私は言いたいのでもない。
この報道を見て私が感じたのは、NHKは今年も平穏な社会状態ですよと言う事をアピールする狙いがあるのではないかと思った点である。
つまり、日本の中は平和で満ち溢れていると言いたいのではないかと私には受け取れたのである。
日本中の神社の恒例の行事をニュースにしていたら、それこそ毎日のようにニュースになるだろう。
他のマスコミの報道を調べた訳ではないが、こんなどうでも良い内容を報道するのはNHKぐらいのものではないだろうか。

連日のように中国が領海侵犯を起こしているし、来月には竹島問題も含めて韓国の大統領との対話をする予定になっているし、拉致問題、放射能除染の手抜きの問題、防衛費の大幅な値上げに対する国民の反応はどうなのか、電力料金や保険も値上がりする可能性が高いがどうなのか、デフレ脱却に伴う物価の高騰で弱者の救済はどうするのか、農民は反対しているTPPに参加する事は本当に良い事なのか等、普通の人が知りたい事は山ほどある。
それを、今年の「福男」は誰だったのか?。
笑わせるな、自称皆様のNHKさんよと私は言いたい。
どうやら、私はNHKが大嫌いになってしまったようである。
大河ドラマ? 糞くらえだ。

2013年1月6日(日)
正月から数日が経過しましたので、何か書きたいと思っているのですが、今の自民党政権について評価するには時期が早すぎますし、消えた民主党の事をぐだぐだ書きたい気分でもありません。
最近報道されている福島の放射能除染のいい加減さについて一言だけ言えば、悪いのは除染業者一色である報道になっておりますが、9割はその通りでしょうが残りの1割は廃棄する場所も決めていなくて(元々決められない)、高い税金をばらまいて除染除染と騒いでいる政権にも問題が多いでしょう。
民主党で行った事ですが、今の自民党でも同じような事(除染を促進する)を言っているので、やる事(金のばらまき事業ではないかと疑われる事)に大差はなさそうである。
以前にも書いたが、除染と言っても放射能を取り除ける訳ではなくて、汚染されたものを移動するだけなので、根本的な解決にはならない。
本来なら汚染された場所には数百年間は住まない事が一番なのだが(これしか無いだろうが)、一刻も早く住めるようにしないと原発推進にも差し支えるからだろう。
少々表面の土を一時的に取り除いたところで、結局は放射能で汚染された物質は高い所から低い所へ流れ落ちてくると言われているので、汚染度の高い地域はあちこちに存在して福島には人は住めないだろう。(住むべきではないと言うべきか)
結局はお金がなくて他所へ移り住めない貧乏人だけが、ここは除染したから安全ですと言う言葉を信じて人体に放射能を蓄積する事になるのではないだろうか。
放射能の影響が人体に出てしまってからでは遅いのだが、その時に騒いだ所でどうしようもないだろう。 (水俣病が良い教訓になる)

問題は福島にだけあるのではなくて、食物を通して日本人の体の中には放射能が蓄積されていくのは確かだろう。
それが、どの程度量なら大丈夫であるのかなどは、過去の資料が無いので(放射能汚染された食物を数十年間食べ続けた国家は存在しなかったので)誰も分からない。
現在生きている人間には目につく影響は無いだろうが、これから生まれてくる子供達の放射能による影響が心配である。
常識的に考えれば、数十年後や数百年後の日本人には何らかの放射能による悪影響が出ると考えるべきだろう。

最近の電力会社の原子力発電所の推進のための発言を聞いていると、以前は原子力発電所を停止すると電気料金が馬鹿高くなるから無くせないなどと言っていたのだが、その言い方では効果が弱いと見たのか、最近では原子力発電所を無くすと原子力の技術者が育たなくなって、廃炉にする場合でも影響が出るとか、現在の原子力技術者の海外流出がおこるので問題があるなどと言っている。
何としても原子力発電所の存在を大前提にしなければならないのだろう。 (原子力技術者を育てたいだけなら、他にも方法はいくらでもあるだろうに)
この流れを阻止できる場合があるとすれば、日本国民の結集が必要なのだろうが、飼い慣らされた国民なので団結して行動する事などはあるまい。
私は決して反原発主義者などでは無いのだが、日本では反原発などを唱えようものなら共産主義者みたいな思想家と同一視され、下手すると社会から抹消される恐れすらある。
私の場合を言えば、次はどこの原子力発電所が爆発するのだろうと心配している(恐れおののいている)だけであるのだが。
私はどこにでも居る臆病な日本人の一人に過ぎない。

2013年1月2日(水)
正月二日目ですが、懲りずに今年も犬の遠吠えを書かしていただこうと思います。
現在の日本の状態に満足しておられる方は少ないとは思いますが、それではどうしたら良いのかとなると難しいものがあります。
去年のように、衆議院選挙でもあれば国民の意思を表すことができますが、選挙が毎年ある訳はないので、不満があってもじっと我慢するしかないでしょう。
昔はそれが日本人の美徳だとか言われておりましたが、どうやら為政者の策謀であったのは、東日本大震災の政府の対応を見ると明らかなようです。
どんなに 「はしたない」 と言われようとも、満足に食べる物がないなら、中国人のように空の茶碗の淵を箸を握って太鼓を叩くようにチンチンと音を出して訴えるのが人間らしい生き方だと思えるようになってきました。
恐らく子供ぐらいしかやらない事を、大人もやるべきではないのかと最近は考えています。

原子力発電所の問題もそうですが、巨大な勢力に立ち向かえるのは政治家などではなくて、普通に町を歩いている一人一人の人間ではないかと思っています。
今年こそ、飼い慣らされた日本人から、独り立ちできる日本人へ脱皮して欲しいと思っているのですが、どうでしょうか。
日本人の習性から考えて、とても5年や10年では無理だろうとは思いますが、せめて人真似だけが得意な日本人からは脱皮して欲しいと思っています。
自分の意見を持てない日本人、自分の意見を言えない日本人が余りにも多過ぎるように思います。
やはり、日本人は根本的に臆病な民族なのでしょう。

2012年度のSPEAK