競馬に向いている人、向いていない人と言うのはあると思っております。
馬の走る姿を見ているだけで楽しいと言う方は少ないと思いますので、ギャンブルに向いている人とそうではない人と呼んだ方が適切かも知れません。
競馬場で大声を上げて馬を声援している人がおりますが、こんな方達は競馬に限らず競技を心の底から楽しめる人でしょうからストレスを開放する事も出来るでしょうし向いていると思います。
日本人は人前で大声を張り上げるのは、はしたない事であるとの風潮がありますから、人数は少ないのですがレースに没頭できている人を見ると羨ましいと思う時があります。
私は年を重ねる毎に夢中になれる事が少なくなって、その分失敗する事は少なくなりましたが、楽しめる事も少なくなったので寂しいです。
競馬に最も適してない人達は誰なのかと言えば、それは官僚(国家公務員)と銀行マンです。
彼らを褒める意味は全く無くて、頭が固くて融通がきかない上に冒険は絶対に出来ない取り柄のない種族であると私は思っています。
こんな人達が日本の中枢に居すわっているのですから、経済の回復にも時間がかかるでしょうし、当分は回復しないかも知れません。
こんな例外中の例外はさて置いて、競馬に向いている人(競馬を心から楽しめる人)はどんな人達なのでしょうか。
競馬は元々金持ちの道楽ですから、金持ちが楽しめるのは間違いありませんが、そんな馬主連中も除外する事にします。
私なりに競馬に向いている人の条件を列挙してみました。
(1)暇な人
他にやる仕事が多くて忙がしい人は競馬はやるべきではありません。
そんな人はもっと社会に貢献出来ることに専念して欲しいと思います。
競馬は余暇を楽しむ趣味の1つに過ぎません。
(2)馬券を買う最低限のお金の余裕のある人
競馬は馬券を買いますので最低でも月に1万円以上は必要とします。
1万円がパーになる事も多いですから、あのお金があったらもっとおいしい物が食べれたのにと思う人は競馬は向いておりません。
どちらかと言うと損をしたら食べたい物も我慢出来る人でないと競馬は続ける事ができません。
絶対確実な事しかやれない人は、銀行員か公務員にでもなってください。
傍目からは視野の狭い人達に見えますが、彼らから見れば我々が可愛そうな人達(馬鹿な人間)に見えています。
(3)自分の生き方(考え方)が出来る人
日本人はとかく人の真似ばかりしたがります。
西洋の真似をしながら発展してきたのですから無理もない部分もありますが、未だにそれを引きずっております。
最近はアメリカの裁判官制度の真似も始めましたが、いくら日本の裁判官が世間ずれをしている人が多いからと言って、一般人が裁判官になるのは無理です。
社会への貢献とか訳の判らない理由をつけておりますが、専門家が無理なことを一般人がやってもやはり無理です。
今後この制度がどうなるのか予測して見ましたが、過去の判例のアンチョコ本が発行され今まで以上に型にはまった判例が多くなると思います。
これなら、裁判は過去の判例を蓄積したロボットにでもやらせた方がずっと増しでしょう。
話が逸れましたが、競馬は雰囲気(人気)に左右されます。
大局的にはそれで間違いではありませんが、他人の真似をしていれば安全(無難)だろうとばかり考える人は競馬は向いておりません。
そこそこは的中はしますので確かに大損はしませんが儲かりませんので、そんな人はそれ以上に進歩する可能性はありません。
(4)自分に自信を持つ事が出来る人
競馬はお金が掛かりますから失敗すればお金を失ってしまいます。
それも、儲かる確率よりも損をする確率の方が遥かに多いですから損をしたらどうしようと常に考える人は競馬は向いておりません。
物事は自信があっても失敗する場合の方が多いのに、中途半端な気持ちで取り組んでは成功することも失敗してしまいます。
何事もそうだと思いますが、自信を持てるようになるためには、それなりの努力は必ず必要だと思います。
言い換えれば努力の出来ない人(努力を嫌がる人)は競馬は向いておりません。
(5)心が常に醒めている人
競馬で財産を失ったとか言う人も居るようですので記載しましたが、本当に必要な事なのかは不明です。
まっとうな(通常の)神経の持ち主ならそんな愚かな結果にはなりません。
頭の良くない人(感情だけで行動する人)は競馬はやるべきでは無いとでも書けば良いのでしょうか。