人間お金を賭けているのといないのとではかなりの差がある。
テレビなどの競馬評論家やパドック解説者の話を聞いていても、この人は実際に自分の予想した馬の馬券を買って話をしているのか口先だけの話なのかは、話す態度と内容からおおよそ判断できる。
以前にUHFのテレビ番組で最終の12レースを男性と女性のアナウンサー同士で競い合わせて実際に馬券を買わせて予想させるのがあったが、良く的中するのに驚いた事がある。
さすがに、この職業を何年も担当していれば、いろいろな厩舎を巡ったり、多くのの馬を見たり話を聞いたりもできるだろうから、競馬評論家程度には馬に関する知識や馬の状態を見る目が肥えてくるのだろう。
中には自分の知識を盾に、レース実況中に展開に注文つけたりしている人もいるが、そこまでやられると自分の立場(本分)を忘れているのではないかと言うような気がして聞き苦しく感じるものだが、アナウンサーが馬券買って勝負する程度はなかなか面白い企画(趣向)だったと思う。
この時の購入代金が自腹だったのか、番組内から出ているものであったのかは定かではないが、真剣に予想している姿から考えて自腹だったのかもしれない。
そこへいくと競馬評論家は気楽なものである。
どこかの国の官僚の態度と同じで、どんなにいい加減な予想を行っても責任を問われる事は一切ないのである。
官僚は施策が失敗して何千億の損失を国家に与えようとも、全てが税金なので誰に訴えられる訳では無いので涼しい顔をしていられる。
競馬評論家も予想が外れて何万人の人に損失を与えようが、ギャンブルと言う隠れ蓑があるために責任を問われる事は一切無い。
それを良い事に、随分と手を抜いた予想ばかりしている競馬評論家も中にはいるようである。
もっと有能な人達(居るのかどうかは不明ではあるが)に代わって貰いたいと常々思っているのだが、テレビ局側に何らかのしがらみがあってそれができないのなら、せめて自分の予想した馬の馬券を買って見せて欲しいものである。
テレビの出演料全てをそれに賭けろとまでは言わないが、半分程度でも賭けてくれれば、今よりは随分と予想する態度や予想馬券の内容が変わってくる事は間違いないだろう。
今まで馬単1点勝負などと得意顔で言っていた人が、複勝ばかり何点も買うようになるのではないだろうか。
競馬の予想はとてつもなく難しいものである。
不可能に近い事であると私は感じている。
無理に近い事を行っている職業ならばこそ、もっと真剣な態度で予想をして貰いたいと思う。
聞く側も一生懸命に予想した内容であると感じられるならば、例え予想が外れたとしてもあきらめがつく事が多いものである。
あらためて声を大きくして言いたい。
競馬評論家(パドック解説者も同様)は自分の予想した馬の馬券を買え。
自分の予想した馬の馬券を買えないようないい加減な(自信のない)予想は絶対にするべきではない。
不真面目な予想がどれだけ多くの人に迷惑をかけているかを多少は自覚して欲しいものである。
もし、自分が競馬評論家として適していないと少しでも感じるならば、潔く身を引いてくれる事を願っている。
自分で感じる事が出来ない鈍感な人間ならば、自分の予想した過去の結果を集計して貰いたいものである。
自分の競馬評論家としての力量は一目瞭然であろう。
1人の無能な人間が居なくなるだけで、純粋な心を持つ何万人の人達が無意味な馬券を購入させられずに済むのである。
競馬評論家に求められているものは、競馬の知識を披露する事でも無く、面白い話する事でも無く、的中する予想を提供する事だけである。
私自身は、競馬評論家やパドック解説者に存在する意味(意義)を感じた事は一度も無い。
競馬の超初心者が必要としているのかどうかだけの問題だと思っているが、今の競馬評論家では力不足ではないだろうか。
パドック解説者も、人気馬に隠れた穴馬を見つける事にもっと力をいれるべきだろう。(競馬評論家もしかり。)
人気馬しか取り上げられない人達では、無駄に時間を浪費しているだけであり、邪魔な存在でしかない。
勿論、やみくもに穴馬を取り上げるだけでは駄目で、きっちりと収支を合わせられる予想が必要である事は言うまでも無い。
【注記】
この内容は、ウィキペディア に記載の競馬評論家の故大川慶次郎氏が、”自分の打った印をもとに馬券を買うファンに対する作法として、自らも予想の通り馬券を買うのを常とした。” に感銘しましたので、現在の競馬評論家にもこのような姿勢を見習って欲しいとの思いから記載したものです。
氏は生前に、”自分は競馬で3億勝って4億損ををした。” と語ったそうですから、競馬の控除率を25%とすると正味では競馬で損をする事が無かった、まさしく伝説の競馬評論家だったと言えるでしょう。
(注:一般的な人の的中率は、レースを厳選しても3割前後の的中率であり、その回収率は60〜70%程度と言われている。)